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伝統ある建築資料の保存と継承に向けて
建築史の専門家が学生とともに調査活動
伝統ある建築資料の保存と継承に向けて
建築史の専門家が学生とともに調査活動
2019.10.1

金沢は城郭や武家屋敷をはじめ、寺院や神社、町家など歴史的な建築物が数多く生き続ける街だ。そんな建築物を調査して文化財としての価値を見いだし、建築物を後世に伝えていく研究を行っているのが、金沢工業大学建築学科の山崎幹泰教授。これまで石川県下の主要な寺社や近代和風建築の実測調査を行ってきたが、近年では小松市を中心とする町家の調査にも尽力している。
PERSON
金沢工業大学
建築学科 教授

山崎 幹泰 (やまざき みきひろ) 博士(工学)
早稲田大学理工学部建築学科卒。同大学大学院理工学研究科博士課程(建設工学専攻)単位取得退学。2000年同大学理工学部助手。2003年金沢工業大学講師、准教授を経て、2017年教授。専門は日本建築史、建築アーカイヴス。
PERSON
山崎 幹泰
(やまざき みきひろ) 博士(工学)
金沢工業大学
建築学科 教授

早稲田大学理工学部建築学科卒。同大学大学院理工学研究科博士課程(建設工学専攻)単位取得退学。2000年同大学理工学部助手。2003年金沢工業大学講師、准教授を経て、2017年教授。専門は日本建築史、建築アーカイヴス。
石川の地域に現存する町家を
学生とともに調査・データ化
「行政からの依頼でここ4年ほど、小松市中心部の町家を調査しており、並行して昨年から中能登町能登部地区の伝統的家屋の調査も行っています。ともに国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)の選定をめざしており、いろんな専門家が集まって調査を進めています。


 金沢市には国が選定した重伝建地区が4地区あり、北陸新幹線の長野~金沢間の開業後には地元の魅力発信に貢献し、注目されました。そこで金沢に刺激を受け観光客増加や定住促進につなげたいという自治体サイドの狙いもあり、伝統的な街並みを地域の宝にしたいという想いから、調査依頼が増えていますね。


 調査には、4人ほど学生を連れて行き、建物の間取り図や建築図面を作成するためのデータを集め、所有者の方に家の歴史などをヒアリングします。学生たちはその場で方眼紙に間取り図のスケッチを書き、寸法を測定し、1日かけて記録を収集。大学に戻ってからCADで図面を書き起こしてデータ化します。建築の設計は、本来は頭に描き起こしたものを図面化しますが、調査の作業はその逆を行います。
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方眼紙に間取り図をスケッチしながら調査を行う学生たち
 そんな作業を経てデータを見比べながら、特徴点や異なる建物同士の類似点などを抽出したり、改修されているが以前の姿はこうであったという点を調べたりして、記録に残すという研究を一貫して行ってきました」


 山崎教授は年間で20棟ほどの町家を調査する。一つの建物を数日間費やしてじっくり調査をすることもあるが、町家の場合は数多く調査してほしいと依頼されているため、1日で1件が原則だという。石川県の町家には、地域独特の特徴が見られるそうだ。


「金沢に残る町家は古くて小規模な家が多い。対して小松には、昭和の初めに建てられた大規模で立派な家が多く現存しています。小松の町家を調査していて気になるのは“仏間”です。北陸は浄土真宗が盛んな地域であり、立派な仏壇を所有している家が多いのです。特に山間部の農家はその傾向が強く、仏間も座敷のように立派な部屋になっています。ところが、都市部の町家では昭和初期の頃から仏壇がコンパクトになり、その代わりに収納スペースを増やしていったのです。昔の住宅には押し入れがなく、蔵が収納としての機能を果たしていました。しかし、近代の生活では押し入れがないと物があふれてしまい、生活空間が浸食されてしまう。小松の調査で聞いた『仏壇を小さくしても収納があったほうがいいので、押し入れをつくった』という証言が印象に残っていますね。


 小松市内の港町である安宅の住宅も調査しましたが、安宅の船乗りの住宅は豪華で立派なつくりの家が多かった。同じ小松市内でも、街中では限られた敷地に家が密集するので、間口が狭くて奥行きの長い住宅が目立ちます。それでも、小松の街中には洒落た数寄屋づくりの家や、大きな吹き抜けや飾り窓、色壁や欄間に凝った家など、特徴的な建築物が多いと感じました。
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小松市内のある町家の吹き抜けには、富士山の形をした窓があった
 また、加賀の町家では中央に大きな吹き抜けを設けますが、玄関を入って正面に見える吹き抜けの窓を富士山の形にくり抜いている例がありました。富士山と帆掛け船、三保の松原をかたどっているのです。この家は、障子の桟が幾何学的な模様になっているなど、非常に凝ったつくりになっていて、興味深かったですね」
建物のつくりや先人たちの想い
現在のライフスタイルに合わせた活用
 北陸地方の町家には、家屋の中央部にある吹き抜けの大きな居室である、「オエ」や「オイ」と呼ばれる特徴的な部屋がある。通常は囲炉裏を設けて、家族が集まるその家の中心的な空間となるが、現代人の感覚では茶の間や居間といった部屋に近い。


「囲炉裏では、火を炊いて煙が出ますので、吹き抜けが必要です。茅葺きの家だと、屋根から煙が自然に抜けますが、瓦葺きの家では煙が抜けません。さらに、家の真ん中に位置しているために光が届かず、日中も暗いのです。そこで、採光や煙抜きを目的として吹き抜けや天窓を設ける必要があったと考えられます。太い柱梁を設置して、ここが他の部屋を支えるようなつくりになっており、構造的にもその家の中心となっていました。


 しかし昭和に入ると、子供が増えて部屋数や収納スペースが必要になったり、電気やガスの普及で囲炉裏が使われなくなったりと、次第に吹き抜けが必要な理由がなくなっていきます。暖房効率も悪いことから、昭和の戦前頃から吹き抜けを廃して、2階部分に部屋を設けるようになっていったようです。


 通りに面する一番手前の部屋は“ミセ”と呼びますが、昔は多くの町家が商売をしていたので、ここが商品を“見せる”ための空間でした。日中は戸を外して開放していました。品物を見せることが、“店”の語源にもなっているのですが、普段は商品を蔵に置き、客が来たら出してきて、ここで“見せた”のですね。


 ちなみに、商売をやめると“ミセ”を開放することがなくなるので、格子戸をつけたのです。外からのぞかれる不安もなくなりますからね。つまり、格子戸の街並みというのは、ある意味では現代の“シャッター街”と同じなのです」
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 山崎教授が町家を調査していて面白いと感じるのは、建築物だけでなく、そこで生活してきた方々の話を聞けるところだという。


「家に対する思い入れや暮らしぶりなどの昔話を聞くのは楽しいし、文献ではわからない新しい発見も多いですね。たとえば、ある家を調査している時に、『この納屋は“農電”のために建てた。先生、農電って知っていますか?』と言われました。私は知らなかったので聞いてみると、電気がまだ一般家庭に普及していなかった頃の話らしい。当時は農家で脱穀機を使うのに、地区ごとに共同購入して、代表者の家に納屋を建ててそこに脱穀機を置いていたそうです。ただ、脱穀機を使うのは年に一度の収穫期だけ。そこで、秋の1カ月だけ短期で電気の契約を電力会社と結んでいた。それを“農電”と呼んだのです。電気が一般的に広く普及する前には、そんな制度もあったのですね。私はまったく知らなかったので面白かったですね。


 私が一人で調査していたのでは、建築の専門的な話に終始しがちなのですが、孫世代にあたる学生が一緒だと、住人の皆さんが『昔はこうだった』という話をたくさんしてくださるのです。特に女子学生の中には、ヒアリングが巧みで突っ込んだ話を聞き出すのが上手な学生もいます。私が聞くよりずっといい話が聞けるかもしれません(笑)」


 伝統的な建築物は存在自体が貴重である。しかし、ただ「古い建物は貴重だから残しましょう」というだけでは、なかなか世の中の理解を得られないと、山崎教授は語る。


「古くて貴重な建築を生かしながらも、現代の生活に合わせてずっと使い続けることに意義があります。そのために残す部分と変えていい部分を明確にしないと、残せるものも残せなくなる。間口の狭い町家なら改修してある程度住みやすくすることは可能で、残せると思うのです。ただ、昔の豪邸のような大規模な家は掃除をするだけでも1日がかりで、現代の感覚では住みにくいでしょう。使用人がいなければ不便で仕方がないはずです。しかし、そのような家のほうが意匠や技巧、材料も見るべきものが多く、建築的には価値がある。一部は記念館として公開するとか、料理屋などの店舗に改装することは可能ですが、それにも限りがあります。


 間口の狭い町家にしても、住空間として住みやすくすることは可能と言いましたが、実際に生活するとなると、駐車場が確保できないという点がネックになります。そこまで考慮しないと、現代のライフスタイルに適した住居として成立させることが難しいのです。
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 やはり、古くて伝統的なものを残しつつ、現代人にとっても魅力があり、個性的な街並みをつくり上げていくようにしなければいけない。課題が山積していることも確かですが、新しいテクノロジーと融合させる発想も必要でしょう。駐車場問題にしても、現時点では難しいのですが、たとえば近い将来にスマートビークルが登場するなどして駐車場が不要になれば、一気に解決する可能性もあります。とにかく、伝統的な建築が資源として活用され、人々を豊かにする素敵な街並みが生まれれば理想的ですね。


 私は、古い建物を見たり、先人の話に耳を傾けたりすることがもともと好きで、そのこと自体が研究の源になっています。歴史好きが高じてこの世界に入ってきたものですから。高校時代に進路選択をする際に、理系で歴史を学べるということで建築学科に進んだのです。若い頃は建築の勉強はそこそこに、外国の遺跡ばかり見て回っていましたね。


 最近は、他人のご自宅にお邪魔して、家の中を見せてもらうという機会もあまりなくなりましたので、調査で入ること自体も貴重な経験です。そこに住んでいる方が長年大切にしてきたものに触れたり、私自身が関わったりすることができるのが、この研究の魅力だと感じます。建築は、新しいものをつくり上げることも大事ですが、そこを守りながら住んできた人が今後どう維持していくのかという課題もあるわけです。


 それを相談する場所もなく、そのまま放置していれば次第に失われてしまう。家を見せてもらい、先人の暮らしや彼らの思いに触れること、そして今後のあり方について考えていくことは、本当に楽しいと感じますね」
未見の伝統的建築物の発掘と
今後の活用法の模索をしたい
 今後の研究への抱負として、山崎教授はさらに未発掘の建築物や未見の場所に思いをはせる。そして、その視線の先には伝統的建築物と最新のテクノロジーが融合した、個性的で魅力ある未来の街並みが見据えられている。


「石川県内で未発掘、未見の場所はたくさんあります。今後もさらに拾い上げて発見をしていきたい。石川県の建築物を広くアピールするためには、本当は他の地域のことも知っておく必要があります。各地との比較ができてこそ、石川県の建築の独自性を浮き彫りにできますからね。現状は県内での仕事で手一杯で、なかなか外に出て行く機会が持てないのですが、今後はなるべく他の地域にも足を延ばして研究材料にしたいと考えています。
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 そのうえで、伝統的な建築物を残していくためにどのように活用していくのか、住んでいく人、これから新しい建築をする人たちに向けて、伝統的な建築物の良さと、活用していくためにどう受け継いでいくのか、今後に向けてその体制づくりをしていきたいと思います」


 歴史への探究心から建築を学び、研究の道に入ったという山崎教授は、建築家の手書き図面や地域の建築資料をアーカイヴスとして、後世に伝えていく活動にも取り組んでいる。貴重な建築資料が散逸したり、海外に流出したり、あるいは持て余した遺族に処分されてしまったりすることがないように、保存していこうという取り組みだ。


「歴史的な建築物は、もう使いにくいから取り壊してしまおうと葬られてしまうことになりがちですが、発想を変えてうまく活用することで、人類の豊かな未来にもつなげていけるはずです。建築資料にしても然り。時代の流れに飲み込まれる前に、歴史から学び取る姿勢も大切なことです」


 「賢者は歴史に学ぶ」という言葉もある。山崎教授の言葉を金言として、建物にしても文献にしても、偉大な先人が残してくれた物はまさに宝である。我々は歴史からもっと多くのことを学んでいくべきだろう。
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