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人間の“幸福”や“喜び”などを研究する
「ポジティブ心理学」の意義を聞く
人間の“幸福”や“喜び”などを研究する
「ポジティブ心理学」の意義を聞く
2019.10.1

金沢工業大学心理科学研究所は、「ポジティブ心理学」を大きなテーマとして活動している。ポジティブ心理学は、1998年にアメリカ心理学会の会長に就任したマーティン・セリグマン博士が講演で提唱したことに端を発した、比較的新しい心理学の分野だ。心理科学研究所所長の塩谷亨教授に、ポジティブ心理学とは何か?そして、従来の心理学との違いなどとともに、その研究の意義について解説してもらった。
PERSON
金沢工業大学
心理科学研究所 所長、教授

塩谷 亨 (しおたに とおる) カウンセリングセンター長
博士(学術)

金沢大学法文学部卒。金沢大学大学院文学研究科修士課程(心理学)修了。金沢大学社会環境科学研究科(博士課程)修了。十全病院臨床心理士を経て、1995年金沢工業大学講師、助教授を経て、2002年教授。専門は、ポジティブ心理学、臨床心理学、コミュニティ心理学、認知行動療法等。
PERSON
塩谷 亨
(しおたに とおる)
カウンセリングセンター長
博士(学術)

金沢工業大学
心理科学研究所 所長、教授

金沢大学法文学部卒。金沢大学大学院文学研究科修士課程(心理学)修了。金沢大学社会環境科学研究科(博士課程)修了。十全病院臨床心理士を経て、1995年金沢工業大学講師、助教授を経て、2002年教授。専門は、ポジティブ心理学、臨床心理学、コミュニティ心理学、認知行動療法等。
正面から取り組まれてこなかった
ポジティブ心理学
「以前の心理学は、臨床心理学に偏重していました。人間のネガティブな面に焦点を当てた“マイナスをゼロにする”ようなものだったのです。確かに成果はありましたが、人間には悪い面ばかりでなく、ポジティブな面もあるので、それらにも注目すべきという見解も以前からありました。しかし、あまり注目はされず、主流にはなっていなかったのです。


 そこで、人間のポジティブで素晴らしい側面に焦点を当てた研究や実践活動が必要だという観点から、『ポジティブ心理学』が提唱されたのです。『不安』や『怒り』などネガティブな感情の研究は山ほどあったのに、『幸福』や『喜び』などを研究する例は本当に少なかった。そんな従来の心理学に対する反省の意味もあり、ポジティブ心理学は一気に広がっていったのです。その後はポジティブ組織論やポジティブ法学、ポジティブ教育、ポジティブ精神医学といった具合に、心理学の枠を越えた領域にまで影響が広がっています。
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 そもそも宗教や哲学の領域では、幸福を追求するという方向性は昔からあったのですが、心理学では正面から幸福(Happiness)に取り組んでこなかったのです。


 ポジティブ心理学には、喜びや希望などのポジティブな感情、レジリエンス(ストレスからの回復力、しなやかさ)、フロー(没入体験)、徳性(Virtues=美徳)といった従来の心理学ではあまり扱われなかったテーマが数多くあります。


 そのひとつがPTG(Post Traumatic Growth=心的外傷後の成長)。たとえば、がんの診断を受けた多くの人はショックを受けますが、それを機に本来の自分らしさを追求して生き生きと生きていく人もいます。心理的な外傷を機に、心理的な成長を遂げていく力を人間は備えているのです。そこに注目したのがPTGという概念です」
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仕事の条件をそろえて
幸福感が上がる没入状態へ
 たとえば、「楽観的な人のほうが成功する」と、ビジネス書などでもよく書かれているが、ポジティブ心理学ではデータをもとに、そういった仮説をきちんと実証的かつ科学的に検討する。


「職場においては、従来のようにストレスチェックとか、悪い面を改善する方向で考えるのではなく、職場に行くだけで元気になれる方法を考えるのです。もちろん、ストレスのかかり具合について確認するストレスチェックも大事ですよ。人間には、物ごとをネガティブに考えすぎてしまう“ネガティブ・バイアス”が本来的にあるのです。22万年前のホモ・サピエンスの化石を分析すると、遺伝子レベルでは我々とほぼ変わらない。太古の人類が過酷な状況を生き抜くためには、敵の存在だとかネガティブな要素につねに注意する必要があったのです。しかし、現代人は当時ほどの緊張状態には置かれていないでしょう。太古の時代の名残で残っている“ネガティブ・バイアス”のせいで、ネガティブに考えすぎてしまったり、余計なストレスを感じてしまうこともあるので、もっとポジティブな方向にバランスをとる必要があるでしょう。


 ポジティブ心理学には、『何かに没頭することと幸福感が相関する』という研究データがあります。没頭することを心理学では“Engagement”と呼びますが、その究極の形が『フロー』です。もともとは芸術家が寝食を忘れて長時間創作に没入する状態の研究から始まったのですが、芸術家に限らず、一般人でも同様のフロー状態は見られます。


 仕事においても、会議で議論が白熱している時など、フロー状態に入ることは多々あるのですが、簡単すぎる業務や難しすぎる作業では、どちらにも起こりにくい。また、仕事をしている時とプライベートの時を比較すると、明らかに仕事の時のほうがフローに入ることが圧倒的に多い。レジャーや遊びをぼんやりと楽しんでいる時には、なかなかそこまで没入することはありません。
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 このフローが起こる原因もある程度明らかになってきていて、

  ①ルールが明白であること
  ②フィードバックが即座にあること
  ③取り組んでいる課題が自分の実力より少しハイレベルであること

この3つの条件がそろうとフロー状態に入りやすくなると言われています。


 以上のようなフローが起こり得る状況というのは、やりがいのある仕事をしている状態と言えます。あとは職場の人間関係も重要で、良好な関係を築けていれば、会社に行くことが楽しくなる。対人関係では、誰かに助けてもらうだけでなく、“与える”ことも重要です。自分も周囲に対して援助できる相互の関係がないと、本当に良好な関係とは言えないからです。


 さらに、自分が生きている意味、自分の存在意義がもし見出せるのなら、その人はまさに幸福になる確率が高いと言える。自分が存在する意義と言っても難しいのですが、自分とより大きなものとの関係を意識することがコツです。たとえば、『仕事を通じて世界平和に貢献する』でも、『古い慣習を打ち破ってイノベーションを起こす』とか何でもいいので、広い視野、大きな視点で自分を捉え直すことが重要なのですが、若い人はこれがなかなかできないとされています。高齢者でボランティア活動に従事している人などは、自分の存在意義を自覚されており、データにも表れていますね」
ウェルビーイングは測定でき
ポジティブ度のアップも可能
 ポジティブ心理学にとって非常に重要な「ウェルビーイング」(Well-being)という用語がある。ウェルビーイングは、状態のよいこと、いい感じで過ごしていること、うまくいっている状態、幸福な状態、充実した状態などの意味合いを含むが、日本語では定訳がなく、「ウェルビーイング」とカタカナで表記されることも多いという。


「“ポジティブ心理学の父”ともいうべきセリグマン博士は、人間が持続的に心理的に繁栄していく状態をフラリッシュ(Flourish)と呼び、このような状態は5個の領域が関係しているというウェルビーイングの多面的モデル(PERMAモデル)を提起しました。


 5個の領域とは、P(Positive Emotion=ポジティブ感情)、E(Engagement=物事への積極的なかかわり)、R(Relationships=他者とのよい関係)、M(Meaning=人生の意味や意義の自覚)、およびA(Accomplishment=達成)です。
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 2016年にジュリー・バトラー博士とマーガレット・L・カーン博士が、このPERMAモデルに基づいて、これらの概念を測定できる測度(心理検査)を開発しました。『PERMA-Profiler』と呼ばれる検査です。これは23項目で構成されており、11件法(ひとつの項目に11の選択肢がある)で回答します。PERMAモデルの構成要素である5領域に加えて、全体のウェルビーイングを測定するOverall領域と、N(Negative emotion=ネガティブ感情)、H(Health=自覚的な身体健康)、およびLonely(孤独感)の計9領域を測定するものです。心理科学研究所のWebサイト上でも簡単にこの検査を受けられるので、試してもらえればいいと思います」
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心理科学研究所のホームページで、「PERMA-Profiler」を受検できる。
 ウェルビーイングを測定し、残念ながら数値が低かったとしても、それを高める方法がある。ポジティブエクササイズ(Positive Exercise)、あるいはポジティブインターベンション(Positive Intervention)と言われるものだ。


「ポジティブインターベンションとは、障害や問題を取り除く従来型の発想ではなく、ポジティブな状態を促進する方法です。たとえば、代表的なものとして『3つのよいこと(Three Good Things)』があります。1日の終わりに、今日あった出来事を思い出し、『うまくいったこと』を3つ記載するのです。それぞれについて、『どうしてうまくいったのか』という理由も含めて記入し、1週間続けるというのが標準的なやり方です。


 自分でもやりましたが、私の経験では『よかった』ことを記載するだけでもポジティブな気分が増加して気楽になれました。嫌なことがあっても、それを引きずらなくなったのです。学生にも試してもらいましたが、明らかにポジティブ感情が上がることが検証できました。私が関わっている『野々市市民カウンセラー連続講座』にも取り入れていますが、参加者のポジティブ度が参加後に上昇することも明らかになっています。


 ほかにも、自分の性格的な強みを知り、それを実感するワークもあります。従来の臨床心理学は、辛い症状が生じていたら、それをなくすという段階で止まっていました。しかし、症状がなくなれば、それで幸せかと言ったら違うでしょう。


 日本では、学校教育でも『できないこと』に焦点を当てて、『なぜ、できないのか、どうすればできるのか』というものだった。でも、本当は『できること』を認めてあげて、そこを伸ばしたほうが生徒も先生も幸せですよね」


 ちなみに、「野々市市民カウンセラー連続講座」は、身近な人の悩みを聞くスキルを身につける目的で、金沢工業大学心理科学研究所と野々市市が2014年度から年2回、1回につき合計4日間の講座を開催しているもの。傾聴力を身につけた人材を「市民カウンセラー」として、野々市市をさらに住みよい町にすることをめざしている。市民カウンセラーは人々の相談に気軽に応じ、傾聴することによって人々の心の癒しに貢献するという。この講座にも、ポジティブ心理学が取り入れられている。
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2019年6月~7月に行われた第10期「野々市市民カウンセラー連続講座」の様子
最初は違和感や警戒感を抱いた学問も
今では自分の生きる意義に
 ポジティブ心理学の研究を推進する塩谷教授だが、意外にもポジティブ心理学には当初の頃は違和感や警戒感を持っていたという。


「国内で最初にこれに飛びついたのは、自己啓発セミナーや企業研修をやっている業者でした。心理学の本質をまったくわかっていない人たちが利用しようとしてね。しかもそういう業者は相当高額な料金を取ってやっているし、心理学をまともにやっている者から見れば胡散臭いわけです。私もそうですが、特に臨床心理学をやっていた心理学者たちは総じてポジティブ心理学を警戒しましたね。しかし、しっかりとした海外の学者からきちんとした研修を受けたり、国際学会に参加したりして本格的に取り組んでみると、学術的に極めてまともなものであることを理解できました。さらに、これからの時代に必要な学問領域であることを実感したのです。今では、自分が生きている意義は、『ポジティブ心理学を広げることで、研究の成果を社会に還元すること』だと、臆面もなく言えるようになりました(笑)。
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 たとえば、先ほども触れたように、働くことの中には無数の面白いことが詰まっているので、それを意識したうえで『出社しただけで元気になれる会社』であればいいと思うのです。近年、進んでいる働き方改革は、『働き過ぎはよくないから、もっと休もう』という面ばかりが強調されており、私には少し違和感があります。それも大切だと思いますが、『仕事を通して感じられる喜び』をもっと増やしていこうという、ポジティブ心理学的な発想で改革をすればいいと思うんです。


 学校の授業の中にも『面白い』ことがたくさんあるから、他人と比べて、『○○ができない』という劣等感を植えつけるのではなく、わかることは『面白い』というポジティブ感情やできたことに焦点を当てればいいのです。


 最近は企業から『社員のウェルビーイングを測定できないか』といった問い合わせも増えています。そこで、そんな依頼に対応するシステムを構築していますが、いわばストレスチェックの幸福版のようなもの。測定結果をベースに、企業内で仕事をもっと面白く楽しくする取り組みを行い、さらに事後にどう改善したかも測定でチェックできるわけです。そういう形で企業との共同研究も進めているところです」


 最近の若者は、必死になって一つのことに打ち込むことができなくなっているとも言われる。ティーンエージャーから30 代までの死因のトップが自殺であることも、若者の幸福度の低さを示しているとも言える。そんな時代にあって、ポジティブ心理学は重要な役割を果たすはずだ。『人間の幸福を考える学問領域』というだけでも、現代人が学ぶ意義は大きいだろう。
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