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金沢工業大学 工学の曙文庫

【第2回】アインシュタイン
『運動している物体の電気力学について』
『一般相対性理論の基礎』
2つの理論を打ち立てた偉人の功績と
見え隠れする意外な人間味
【第2回】アインシュタイン
『運動している物体の電気力学について』
『一般相対性理論の基礎』
2つの理論を打ち立てた偉人の功績と
見え隠れする意外な人間味
2020.3.18

金沢工業大学のライブラリーセンター内にある「工学の曙文庫」には、世界で最も古い物理学の学術雑誌の一つである『Annalender Physik(アナーレン・デア・フォズィーク)』の、1905年に刊行された当時の冊子が所蔵されている。この雑誌において、アルバート・アインシュタインの「特殊相対性理論」が発表された。理論物理学の先駆けとも言うべき論文が掲載された歴史的な雑誌である。数理基礎教育課程の谷口進一教授は、「原著から本質を学ぶ科学技術講座」において、「アインシュタインは何を考え、何を語ったのか」と題した講座の講師を務めた。アインシュタインが唱えた特殊相対性理論と一般相対性理論それぞれの原理的重要性を、前述の雑誌に掲載された原著論文などから学ぶ講座だ。大学時代に論文を読んだという谷口教授に、アインシュタインの功績から人間的な魅力まで、熱く語っていただいた。
PERSON
金沢工業大学
数理基礎教育課程 教授

谷口 進一 (たにぐち しんいち) 博士(学術)
金沢大学工学部工業化学科卒。同大学大学院工学研究科修士課程(工業化学)修了。村田製作所(株)化学開発部を経て、金沢大学大学院自然科学研究科博士課程(物質科学・応用物理)修了。同大学教養教育機構、および工学部非常勤講師(物理学、物理数学、力学等担当)、予備校講師(数学)。2006年金沢工業大学講師。准教授を経て2014年教授。専門は光物性物理学、有機光化学、工学基礎教育。
PERSON
谷口 進一
(たにぐち しんいち) 博士(学術)
金沢工業大学
数理基礎教育課程 教授

金沢大学工学部工業化学科卒。同大学大学院工学研究科修士課程(工業化学)修了。村田製作所(株)化学開発部を経て、金沢大学大学院自然科学研究科博士課程(物質科学・応用物理)修了。同大学教養教育機構、および工学部非常勤講師(物理学、物理数学、力学等担当)、予備校講師(数学)。2006年金沢工業大学講師。准教授を経て2014年教授。専門は光物性物理学、有機光化学、工学基礎教育。
大理論を緻密かつ言葉巧みに述べた
“離れ業”と言うべき2本の論文
 私がアインシュタインの特殊相対性理論の論文を読んだのは大学1年の時であった。化学を専攻していた私にとって、今思えば無謀だったと言えるが、当時は「アインシュタインの論文を読んで十分理解できた人は世界に何人もいない」などと都市伝説のように言われており、「それならば読んでみよう!」と、力も知識もないにもかかわらずチャレンジしたのである。読んでみて、自分ではわかったつもりでいた。実際はよく理解していなかったのだが、そう思い込ませるほどアインシュタインの書き方が巧みであったのだ。

 その後、数学の勉強をするなどして、一般相対性理論にも挑んだ。発表当時は「世界で数人しか理解できない」とまで言われた論文だけに、難解さに打ちのめされるだろうと思っていたのだが、読んでみると意外にもある程度理解できた……と感じた。実際のところは理解できたと勝手に思い込んでいるだけだったが、アインシュタインに惹かれた私は、化学専攻でありながら、相対性理論の勉強もこっそりと続けたのだった。

 当時の私が2本の論文を読んで感じたのは、非常に情熱的な記述で、かつ緻密な科学論文としてきちんと成立していたこと。さらに、非常に難解なことをわかりやすく書いていることだった。

 ところで、アインシュタインは有名であるが故にアンチも少なくない。ニュートンも同様だが、彼らの理論を真っ向から否定する者も存在した。彼らがあまりに偉大であったがために、誤解や感情から攻撃を受けたのである。

 アインシュタインの場合は、いまだに相対性理論を否定する立場の本が出版され、よく売れるケースも見受けられる。今回の講座を引き受けた時、「万が一アンチ派の人が聴講した時に、果たして自分が冷静に説得できるだろうか」という不安もあった。しかし、学生時代に夢中で読んだアインシュタインだけに、私が講師を担当する機会を得たことに、やはり縁を感じざるを得ない。
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「工学の曙文庫」に所蔵されているアインシュタインの原著論文2点。『一般相対性理論の基礎』(左)と、『運動している物体の電気力学について』が掲載された学術雑誌『Annalen der Physik』
 かつての日本の大学では量子論の講座は多かったが、一般相対性理論を学ぶ講座はほとんど存在しなかった。大きな大学でも、特殊相対性理論は電磁気学の分野で教えられていたものの、一般相対性理論の講座はなかったはずだ。一般相対性理論を学ぶ最善の方法は、一般に多く販売されていた専門書を入手することだった。

 30歳を過ぎた頃、教える立場になっていたこともあり、真の理解を深めるために過去に発表された量子論の原著を読み進めるようになった。かれこれ20年近くを要する大作業となったが、初めてアインシュタインを読んだ時ほどの感動は得られなかった。量子論は長い年月を経て、ドイツの物理学者であるマックス・プランクら複数の学者たちによって解明されていったものだが、アインシュタインはたった一人で大理論を打ち立て、1本の論文だけで理解させてくれたのだから、まさに離れ業だったと思える。決して私だけの感想ではなく、アインシュタインの解説書を書かれている著名な先生方も、総じて特別なものであると認めている。
多くの物理学者に影響を与えた
“上から”アインシュタイン
 現代でこそ、理論物理学者は珍しくない。ただ、アインシュタインやプランクが出現する以前には、理論のみを研究する物理学者はいなかったと思う。物理学には「上からの物理」と「下からの物理」という表現がある。たとえば、実験や事実によって得られたデータを積み上げて、理論を構築する方法が「下からの物理」である。不確定性原理を提唱したドイツの物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクなどはその代表だが、物理の王道と呼べるのは、こちらかもしれない。

 対して、「上からの物理」の代表がアインシュタインだ。高いところから大原理をバンと掲げ、物理全体を見渡して変革を起こしてしまう。何らかの問題が発生した場合、「下からの物理」は地道に一つずつ解決していくが、アインシュタインは原理原則を変革させ、まったく新しい考えを打ち立てる。カオスのように混沌としていた細かな問題の数々を、一掃させてしまうような爽快さがアインシュタインの論文にはあった。

 現代の理論物理学者の多くは、アインシュタインに憧れを持ってしまったため、「『上からの物理』ばかりをやりたがる」という批判もある。換言すれば、アインシュタインの業績は、それほどインパクトが大きかったのである。
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 2004年にノーベル物理学賞を受賞したアメリカの理論物理学者デイビッド・グロスは、「私のヒーローはアインシュタインだった」と言っている。彼はアインシュタインの方法を模して理論をつくろうとした人である。グロスもかかわり、近年話題となっているスーパーストリング理論(超弦理論)なども、「上からの物理」の一つであり、アインシュタインの影響を受けた人たちによって生み出された考え方と言ってよいだろう。

 それほど、物理学のヒーローとされたアインシュタインだが、間違った論文を書いていたことも1990年代頃から指摘されるようになった。私は原著を読んでいたので、アインシュタインがそういう論文を書いていたことは知っていたが、世間では長らくそのような事実にはあまり目が向けられていなかった。しかし、アインシュタイン自身は間違いに気づいていて、それを修正する力も持っていた。

 「上から」の視点で全体を見渡すことができたからこそ、修正力を持ち得たのだと思う。アインシュタインの相対性理論は、ニュートンの考え方の一部を否定するものでもあった。ニュートンと言えば、当時から神格化されるほどの偉大な学者であったから、それを否定することは大変な勇気が必要だったはずだ。

 それを可能にした理由の一つとして、アインシュタインに影響を与えたオーストリアの物理学者で科学史家のエルンスト・マッハの存在に注目すべきだと思っている。マッハは、『力学の批判的発展史』を著しているが、ニュートンが基盤とする「絶対空間」や「絶対時間」を形而上的な概念として否定した。実験によって証明できない概念に対して、マッハは極めて批判的だったのだ。

 アインシュタインは、中高生年代の頃にマッハの著作を読破していた。その前にニュートンの『プリンピキア』も読んでいたようだ。余談だが、アインシュタインにあやかって、私も高校時代にその両書を読んでいる。ニュートンのほうは冒頭の10数ページで挫折してしまったが、マッハの本は何度もトライして時間をかけて読んだので、その内容がアインシュタインの考え方に影響を与えたことも、なんとなくではあるが理解できた。
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物理の“第二の王様”が併せ持つ
弱さ、名誉欲、人間臭さ
 天才的な学者であるというイメージや、晩年の平和活動に尽力した逸話などから、アインシュタインは高潔で完璧な人間のように思われている面もあると思う。そんな一面もあったことは否定しないが、彼自身は尊大に振る舞うことなど皆無だった。勤務先である大学の学長にも掃除係にも、彼は同様の丁寧さで毎日挨拶をしていたという。現代の我々が聞けば、分け隔てなく他人と接する微笑ましい人柄のようにも受け取れるが、当時のドイツには厳格な権威主義があったため、このような態度は異端だったと言える。もちろん、そんな逸話も彼の魅力を示すものだ。

 アインシュタインの人間性を見ていくと、弱さもあれば、名誉欲も持っていた。たとえば、一般相対性理論を準備している頃、彼は焦りを感じていた。特殊相対性理論を書き上げた頃は、彼はまだ無名の存在で重圧もあまりなかったと思う。しかし、一般相対性理論の時は、プレッシャーもあったはずだ。しかもダフィット・ヒルベルトというドイツの数学の大天才が同様の研究をしていた。昇龍の勢いがあったヒルベルトに対して、アインシュタインは相当な危機感を覚えていたようだ。そこで、「私の理論を盗用しているように思える」ということを婉曲的に表現したような内容の、ヒルベルトをけん制するような手紙を送っている。

 彼の人間臭さを伝える逸話だが、そんな弱い一面があったことも彼の真実なのだ。私見だが、ヒルベルトが本気になれば、アインシュタインより先に一般相対性理論を発表できた可能性もあったと思う。ただ、彼は物理学にこだわる必要性がなかったので、本気にならなかったのだろう。
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 そもそもアインシュタインは、数学に関しては理論家の中では非凡とは言えなかった。一般相対性理論に不可欠だったテンソル解析について、彼は友人の数学者であったマルセル・グロスマンに教えを請うている。ただ、極めて難解なテンソル解析を、すっきりと物理学に納めたアインシュタインのセンスは見事だと言わざるを得ない。逆説的に言えば、数学がそれほど得意でなかった彼が、鮮やかに物理学になじませることができたのは、やはり特殊な才能を有していたからなのだろう。

 一般相対性理論を発表した後、アインシュタインは次第に孤立していった。量子論を認めることができなかったからだ。デンマークの物理学者のニールス・ボーアとの論争が有名だが、ほかにも多くの相手と論争を展開した。しかし、面白い点は、そんな論敵たちが一様にアインシュタインを敬愛していたことである。ハイゼンベルクもアインシュタインとは完全に対極の立場を取ったが、最初に量子力学の形式をつくった時は、誰よりも先にアインシュタインに見せて、認められようとした。論敵となった学者たちも、誰もが彼の偉大さを認め、尊敬していたのである。

 GPSを利用したカーナビゲーションシステムや、原子力発電なども相対性理論がなければ生まれなかった。現代の我々の生活に結果的にアインシュタインがもたらしてくれたものは、枚挙に暇がないと言える。だが私は、アインシュタインが残した理論物理学の礎と、ものの考え方の手本を我々に示してくれたことこそが、最大の功績であったように思う。

 物理学で最重要な重力を解明したニュートンは、俗っぽい言い方をするなら、物理の「王様」である。そして、アインシュタインは、「第二の王様」だと言える。ちなみに、物理学の「第三の王」は長年待たれてはいるものの、未だに出現していない。
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アインシュタインの原著と谷口教授。
「原著から本質を学ぶ科学技術講座」は、扇が丘キャンパスと東京・虎ノ門キャンパスで開催。本講座は物理的に離れた空間をつなぐスムーススペースを利用して行われている。扇が丘キャンパスでの開催時には、ライブラリーセンター内にある「工学の曙文庫」の見学もできる(会場や「工学の曙文庫」見学の有無は講座によって異なる)。