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バイデン政権誕生で問われる
日本のIT戦略
バイデン政権誕生で問われる
日本のIT戦略
2021.3.19

米国で民主党のジョー・バイデン政権が発足した。4年ぶりの民主党政権の誕生により、米政府のIT(情報技術)政策にも新たな変化が起きることが予想される。バイデン政権の誕生で変わる世界のデジタル市場の構造変化と日本のIT戦略への影響を探ってみた。
関口 和一 (せきぐち わいち)
株式会社MM総研 代表取締役所長
(元・日本経済新聞社 論説委員)

IT市場の盛衰は
オリンピックと同じ4年周期
 二大政党制をとる米国では、保守政党の共和党と革新政党の民主党がほぼ交互に政権運営を担っている。トランプ前大統領を支持したのは年配の白人男性などの保守勢力だ。共和党の支持者は米国大陸の中央に位置する中西部に多い。

 一方、民主党の支持者は黒人やヒスパニック層、それに東海岸や西海岸の都市部に住む人々が中心となっている。バイデン大統領に投票したのはそうした革新勢力の人たちで、米政府のIT政策にも政党の特徴が色濃く反映されている。

 共和党政権は一般に政府の介入を極力排除し、小さな政府をめざすのに対し、民主党政権は政府に大きな権限を与え、国家主導で新たな政策の流れをつくろうとする。1993年に発足し、「情報スーパーハイウェー構想」でインターネットを推進したクリントン政権はまさに民主党だ。

 実はIT市場の盛衰はオリンピックと同じ4年周期をたどっている。米国のヤフーやアマゾン、グーグルなどが登場した1994~2000年は民主党が政権を担った時代で、クリントン政権が掲げたIT政策は米国に多くのベンチャー企業を生んだ。
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ホワイトハウス(写真:iStock.com/Vacclav)
 しかし2000年の大統領選でジョージ・ブッシュ氏が勝利すると、米政府のIT政策は大きく変化する。1990年代後半から続いた「ITバブル」がはじけた直後でもあり、2001年に起きた米同時多発テロの影響もあって、米政府はITベンチャー企業の育成よりはセキュリティ対策の方を重視した。

 そうした中、4年後の2004年に始まった新たな流れが、西海岸を中心に広がった「Web2.0」と呼ばれるITベンチャーブームである。クラウド技術と検索連動型広告でインターネット上の人通りをマネタイズする仕組みをつくったグーグルが上場した年でもある。ブッシュ政権は相変わらずセキュリティ対策を優先し、ITベンチャーの育成にはあまり力を入れなかったが、新たな技術革新に支えられ、IT企業は着実に成長した。
リーマンショックが
ITベンチャー企業を後押し
 そうしたITベンチャーブームの流れをさらに加速し、米国のデジタル産業を一層拡大したのが2008年の大統領選で勝利した民主党のバラク・オバマ氏である。この年は米国のみならず世界経済を震撼させた「リーマンショック」が起きた年で、大企業中心の経済システムが破綻し、ベンチャーが経済を担う新しい時代へと変わった。

 配車アプリのウーバーや民泊サイトのエア・ビー・アンド・ビー、電気自動車のテスラや自動運転技術会社のウェイモなど、新しいベンチャー企業が米国に続々と誕生したのはこのころだ。IT大手の「GAFA(グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル)」と並んで注目されるオンライン配信サービスのネットフリックスが祖業のレンタルビデオ事業からストリーミング事業に大きく舵を切ったのも2008年である。

 さらに2008年といえば、アップルのスマートフォン「iPhone3G」やグーグルの携帯OS「Android」が登場した年であることも指摘しておく必要があろう。スマートフォンはパソコンに代わる個人向けの情報端末となり、SNSやオンライン動画配信などの新しいデジタルサービスを育むプラットフォームとなった。
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 オバマ政権はそうした新しいデジタル化の流れに対応するため、通信事業者にオークション方式で電波を割り当てる制度を積極的に活用した。無線環境の整備を通じて、固定通信網のブロードバンド回線に代わる新しいモバイル市場の拡大を図ろうとしたからだ。
中国IT企業の台頭を許した
トランプ政権
 一方、後を継いだトランプ政権の時代はどうであったろうか。新しいITベンチャーが数多く生まれたとはいえず、むしろ米国の消費者市場で人気を博したのは「TikTok(ティックトック)」といった中国のベンチャー企業のアプリだった。通信インフラの分野でも、ファーウェイのような中国企業の存在感の方が大きく増した。

 トランプ氏はそうした中国企業をサイバーセキュリティの名のもとに米国市場から締め出す一方、GAFAなど米IT大手で働く外国人エンジニアに対しても、滞在資格が曖昧な人たちには国外退去を迫った。トランプ政権が発足した直後、6,000人とも1万人ともいわれるITエンジニアが職を探してフランスやカナダなどに移住したといわれる。
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大統領就任式で演説を行う米バイデン大統領
(写真:ロイター/アフロ)
 こうして見てくると、米国のIT産業は民主党政権の時代に伸び、共和党政権ではそれほど大きな成長はなかったということができる。その意味では、バイデン氏が大統領選に勝利し、再び民主党政権になったことは、米国のIT産業にとっては大きな朗報といってもよいだろう。

 米国のIT政策のカギを握るのが通信政策を担う米連邦通信委員会(FCC = Federal Communications Commission)の動きだ。オバマ政権では新聞社や放送局の統合を認め、メディア集中排除規制の緩和に動いたが、トランプ政権はメディアに対し厳しい姿勢で臨んだ。その背景には、トランプ批判を繰り返すインターネットやメディアをトランプ氏自身が快く思っていなかったということがある。
バイデン政権で
米IT産業がさらなる伸長へ
 一方、バイデン氏はコロナ禍で巣ごもりしている米国民に対し選挙期間中からネットやメディアを上手に活用して自らの政策を訴えた。バイデン氏の勝利には、そうした米国のメディアやIT企業と適度な距離感を保ったことがかなり貢献している。

 バイデン大統領は就任早々、地球温暖化対策の国際的枠組みである「パリ協定」への復帰を表明するなど、トランプ政権時代からの政策転換を次々と打ち出しているが、IT産業についても米国企業の競争力を高める施策を打ち出してくると考えられる。

 そのひとつがGAFAに対しEU(欧州連合)が導入しようとしている様々な規制への対応だ。欧州委員会は巨大IT企業を規制する「デジタルサービス法(DSA)」と「デジタル市場法(DMA)」という2つのプラットフォーマー規制の導入を検討している。

 またツイッターやフェイスブックがトランプ前大統領のアカウントを相次ぎ停止するなど、ユーザーの発言にIT企業が介入する動きにも批判が高まっている。そうした中でバイデン大統領が米IT大手にどういった姿勢で臨むかが注目される。バイデン氏としては、コロナ禍で傷んだ米国経済を立て直すため、トランプ政権とは一線を画し、米国のIT産業を支援する方向に向かうに違いない。

「中国寄り」といわれるバイデン氏も、トランプ政権が課した中国IT企業への制裁措置をすぐに撤回するとはもちろん考えにくい。トランプ氏が残してくれた対中制裁措置を何の見返りもなしに手放すのは得策ではないからだ。今後の対中政策を運営するうえで中国側の譲歩を引き出す切り札として使っていくに違いない。
総務大臣の経験が
菅氏をデジタル戦略に誘う
 では、そうした米国や欧州、中国のはざまで、日本はいったいどんなIT戦略を今後打ち出していけばよいのだろうか。

 第99代内閣総理大臣となった菅義偉首相が示したのは「デジタル庁」の創設に象徴される新たなデジタル改革戦略だ。自民党きっての「IT通」として知られる平井卓也氏をデジタル改革相に起用し、今年9月を目標にデジタル庁を発足させようとしている。特別定額給付金の電子申請トラブルなどで露呈した日本のデジタル化の遅れを取り戻すことが目的だ。
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 菅首相は「デジタル庁の具体的な形は現在詰めているが、重要なのは政府の縦割りのIT政策を一本化することだ」と強調する。2001年に施行され、日本のブロードバンド化を促した「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)」を20年ぶりに改正し、普及が遅れている「マイナンバー制度」の周知徹底などを急ごうとしている。

 菅氏がIT政策に力を注ぐ背景には、政治家としての自らの経験が影響している。政治家の家系に生まれた安倍前首相は外交や防衛政策などで実績を上げてきたが、47歳で国政入りした菅氏にはこれといって得意な政策分野はない。唯一あるとすれば、2006年の第1次安倍内閣で総務大臣を務めた経験から、自分で目配せできるのはIT分野だったというわけだ。
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2020年9月23日、首相官邸でのデジタル改革関係閣僚会議の初会合で指示を出す菅首相
(写真:読売新聞/アフロ)
 菅首相は官房長官時代から「日本の携帯電話料金は4割下げられる」と公言し、電子商取引大手の楽天に国内4番目となる携帯通信事業者の免許を与えた。フランスでも格安通信会社のフリーモバイルの新規参入を認めたことで携帯電話料金が大きく下がった経緯がある。消費増税を控えた自民党政権や菅氏にとっては、増税のマイナス分を緩和する意味でも携帯電話料金を下げることに大きな意味があった。

 菅氏は総務大臣時代にも携帯電話の端末販売と通信サービス料金を分けることで、携帯電話市場に競争原理をもたらそうとした。当時は思ったような成果が上げられなかったことから、首相になった今こそ携帯電話市場の競争推進を実現しようとしている。
幻に消えた橋本政権時代の
「情報通信省」構想
 実は「デジタル庁」の前にも、政府のIT政策を一元化しようという構想は昔もあった。1990年代末に当時の橋本龍太郎首相が打ち出した省庁再編計画の目玉のひとつで、当時の通商産業省の情報政策部門と郵政省の通信政策部門を合体させ、IT政策を一手に担う「情報通信省」を新設しようとした。

 ところが一本化構想が首相官邸に近い通産省のもとで進んでいたことを郵政省側が嫌気し、地方自治を担う自治省に合流したことから、今日の「総務省」が誕生した。

 結果的に日本のIT政策は今も経産省と総務省の二元体制のままだ。スーパーコンピューターなど先端技術にからむ政策は文部科学省が推進し、デジタル化が急がれる医療やヘルスケア分野などのIT政策は厚生労働省やその他の省が担う形になっている。

 しかし、人工知能(AI)や5G、クラウドなどの新しい技術が広がり、製造業や農業、交通、エネルギーなど様々な分野でデジタル化が進むことを考えれば、政府としてはIT政策をつかさどる司令塔を一刻も早く確立することが極めて重要だろう。その意味ではデジタル庁など菅氏が推すIT政策は早急に進める必要がある。
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台湾では天才プログラマーが
コロナ対策を担う
 海外では台湾や韓国、シンガポールなどが上手にデジタル技術を駆使し、新型コロナウイルスの封じ込めに成功している。台湾では「天才プログラマー」といわれたデジタル担当大臣のオードリー・タン氏がマスクの買い占めを防止する携帯サイトを立ち上げて成功し、韓国やシンガポールでは携帯端末の位置情報から感染者の動向を把握したりしている。台湾にしても、韓国やシンガポールにしても、コロナ対策で成功した背景には、政府としてIT政策を早くに一元化し、行政や教育、医療などのデジタル化を促してきたことが見逃せない。

 日本では霞が関の縦割り構造が中央省庁のデジタル化さえも阻んできた。霞が関の各省庁がネットワークで初めてつながったのは1997年に「霞ヶ関WAN」が運用を開始してからだが、情報システムを各省庁がそれぞれ個別に調達してきたことから、ファイルの仕様などがメーカーごとに異なり、文書ファイルの交換なども最初は満足にできなかった。もちろん、システム調達にかかるコストも相対的に割高となっていた。

 一方、米国では「General Services Administration(GSA)」と呼ばれる政府の調達組織が情報システムの仕様を定め、全省庁一括で調達することによりシステムの開発や運用にかかるコストを削減し、システムの効率を高めてきた。日本のように各省庁がシステムをITベンダーに丸投げするといったこともなく、統一的にシステム投資してきたことが行政のデジタル化にもつながった。
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 英国でも2000年に政府調達庁を創設し、システム調達を一本化することで行政のデジタル化を進めてきた。菅首相は電子政府推進の狙いとして「既得権の打破」を掲げており、デジタル化はそれを促す有用なツールとみている。
GAFA対抗をめざす
NTTの「IOWN構想」
 米国のGAFAの台頭に対し、日本国内からも新たな対抗策が登場してきた。そのひとつがNTTの推す「IOWN構想」だ。通信だけでなく、コンピューター処理まですべての作業を光技術で行うことで余計なエネルギー消費を抑え、より高性能なコンピューティングパワーを生み出そうとしている。NTTの新戦略には米インテルも関心を示し、世界レベルでの協業をめざしている。

 こうした日本の政府や通信会社によるIT政策やデジタル戦略が成功するか否かは、ひとえに今後のバイデン大統領の出方による。GAFA支配がこのまま続けば、世界のIT市場における日本の復権は望めないし、金融や情報サービスなどにおける日本の勢力拡大も十分には期待できない。結局はバイデン政権が打ち出す米政府の新しいデジタル戦略をしっかりと見定め、それに負けないIT戦略を日本側からも打ち出すことが肝要だ。

 新型コロナウイルス対策に追われる菅首相には、デジタル庁の議論を詳細に見る時間的余裕はないかもしれないが、ポストコロナ時代の日本経済の振興を促すためにも、今は歯をしっかり食いしばって、日本の新たなIT戦略を推し進めてもらいたい。
PERSON
株式会社MM総研
代表取締役所長

関口 和一 (せきぐち わいち)
1982年一橋大学法学部卒、日本経済新聞社入社。88年フルブライト研究員としてハーバード大学留学。89年英文日経キャップ。90~94年ワシントン特派員。産業部電機担当キャップを経て96年より2019年まで編集委員。2000年から15年間、論説委員として情報通信分野の社説を執筆。19年株式会社MM総研代表取締役所長に就任。06年より法政大学大学院客員教授、08年より国際大学グローコム客員教授。09~12年NHK国際放送コメンテーター、12~13年BSジャパン『NIKKEI×BS Live 7PM』キャスター、15~19年東京大学大学院客員教授。著書に『パソコン革命の旗手たち』『情報探索術』、共著に『未来を創る情報通信政策』など。
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関口 和一
(せきぐち わいち)
株式会社MM総研
代表取締役所長

1982年一橋大学法学部卒、日本経済新聞社入社。88年フルブライト研究員としてハーバード大学留学。89年英文日経キャップ。90~94年ワシントン特派員。産業部電機担当キャップを経て96年より2019年まで編集委員。2000年から15年間、論説委員として情報通信分野の社説を執筆。19年株式会社MM総研代表取締役所長に就任。06年より法政大学大学院客員教授、08年より国際大学グローコム客員教授。09~12年NHK国際放送コメンテーター、12~13年BSジャパン『NIKKEI×BS Live 7PM』キャスター、15~19年東京大学大学院客員教授。著書に『パソコン革命の旗手たち』『情報探索術』、共著に『未来を創る情報通信政策』など。

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