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コンビニなどのものとは一線を画す
ホンモノの「ビニール傘」
コンビニなどのものとは一線を画す
ホンモノの「ビニール傘」
2021.3.19

「ビニール傘」と聞くと、雨の日にコンビニエンスストアやドラッグストアの店先に並べられる500~600円ほどの安価な傘を思い浮かべる人がほとんどだろう。だが、「ビニール傘」のパイオニアであるホワイトローズでは、1本8,000円もする高級ビニール傘を販売している。時代の流れに合わせてこだわりのものづくりを続けるホワイトローズの代表・須藤宰氏にその心を聞いた。
PERSON
ホワイトローズ株式会社

東京都台東区浅草に本社と店舗、千葉県旭市に工場を構えるホワイトローズの歴史は、1721年に始まる。もともとはたばこの卸業であった「武田長五郎商店」からスタートし、1825年ごろ、4代目の武田長五郎氏から本格的に雨具を扱うようになる。現在代表の須藤宰氏は10代目。ビニール傘だけでなく、合成樹脂フィルムの接着技術を使ったシャワーカーテンやレインコートなども製造している。お客様の声を大切に、長く使い続けることができる傘をつくり続ける。2020年には台風15、19号の影響で甚大な被害を受け、工場の再建・移転のためにクラウドファンディングを行った。従業員10名。資本金3,500万円。
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ホワイトローズ株式会社

東京都台東区浅草に本社と店舗、千葉県旭市に工場を構えるホワイトローズの歴史は、1721年に始まる。もともとはたばこの卸業であった「武田長五郎商店」からスタートし、1825年ごろ、4代目の武田長五郎氏から本格的に雨具を扱うようになる。現在代表の須藤宰氏は10代目。ビニール傘だけでなく、合成樹脂フィルムの接着技術を使ったシャワーカーテンやレインコートなども製造している。お客様の声を大切に、長く使い続けることができる傘をつくり続ける。2020年には台風15、19号の影響で甚大な被害を受け、工場の再建・移転のためにクラウドファンディングを行った。従業員10名。資本金3,500万円。
始まりはビニール製“傘カバー”
10代続く傘屋のビニール傘とは
 日本の傘の歴史は、竹、木、糸などの天然素材を使い、和紙を張ったものから始まる。もともとは、日除けや魔除けとして使用していた傘が、雨傘として使われるようになったのは江戸時代になってからのこと。そして明治期の文明開化によって持ち込まれた洋傘は、しだいに庶民のもとへと広がっていった。

 1950年頃の傘の小間(傘を覆う布地部分)は綿でできていた。しかし綿には雨に濡れると色落ちしてしまう弱点があった。そこで、色落ちを防ぐため、小間の上に被せるビニール製の“傘カバー”をホワイトローズの9代目代表・須藤三男氏が開発した。
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ビニール製カバーで覆われた傘(左上)を手に話す須藤宰氏
 発売当初は飛ぶように売れたが、1952年に登場した合成繊維(ナイロン)の登場により、防水に優れた傘が普及し始めると、傘カバーは思うように売れなくなった。ビニール製の傘カバーを復活させる道を探っていた三男氏は、1956年にビニール素材を小間に使用した、世界初の“ビニール傘”を開発した。これが、現在私たちが街で見かける、数百円で売られているビニール傘の原型になっているものだ。
一つひとつの小さな工夫で
強いビニール傘をつくる
 ビニール傘の原型ともいえる製品を開発したホワイトローズだが、現在はコンビニなどで売られているようなビニール傘はつくっていない。その理由は、つくり手としてコストを重視するあまりに素材へのこだわりがなくなり、いたずらに壊れやすい使い捨ての傘を生産することに疑問を持っているからだ。

 現在ホワイトローズがつくる傘は、コンビニなどのビニール傘とは一線を画すものだ。

 たとえば、看板商品の一つである「かてーる」は、傘の親骨や受骨をしなやかで丈夫なグラスファイバーへと改良した強靭な構造になっている。この改良により風速33メートルもの強風にも耐えることができるようになった。「かてーる」は1980年、ある都議会議員からの要望から誕生したものだ。

「選挙演説中、激しい雨に見舞われても壊れない丈夫な傘がほしい」

 当時の傘は、鉄でできていた傘の親骨や受骨が、小間で受ける風の強さに負けて、折れてしまうことが多かった。

 その課題を解決するために採用したのが「四つ足」と呼ばれる部品だ。もともとは既存の傘の骨が曲がったり折れたりした際に使用するギプスのような修理用部品。これを新品の傘のダボに装着することによって、強風でも折れることのない頑丈な骨が出来上がった。
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ダボにギプスのように補助する「四つ足」。「かてーる」に使用されている
 もう一つの看板商品である「縁結(えんゆう)」は、「かてーる」の評判が巡り巡って宮内庁に届き、宮内庁が美智子皇后(現・上皇后)のために、2010年に特注でつくった傘を商品化したものだ。美智子様が園遊会などの屋外での行事に参加される際、参加者一人ひとりの顔を見ながら挨拶できるクリアなビニール傘を探しており、さらに「片手で持っても軽くて持ちやすい傘」を求められていた。その制作依頼がホワイトローズにやってきたのだ。

 通常、傘の小間は雨が侵入しないよう、縫い目はあっても、穴は1つも開いていない。風が強いと傘を持つ手に力がかかるのは、小間が風圧をまともに受けてしまうからだ。また、傘の内部に風をはらんでしまうと、風に煽られて傘がひっくり返る原因にもなる。

 この問題を解決するために開発されたのが「逆支弁構造」だ。これは傘の小間に弁状の穴を開け、風の抜け道をつくったもの。内側から入った風は外側に抜けるが、外側からの雨風は、傘の表面を流れていくため内部に侵入しにくい構造になっている。「傘に穴が開いているなんて不思議に思われるかもしれませんが、これが何十年とビニールという素材を扱ってきた専業だからできた工夫ですね」と10代目代表の須藤宰氏は笑って話す。「縁結」の構造は特許を取得し、長時間の雨風に耐える必要のあるゴルフ場や競馬場、また力が弱い高齢の方やハンディキャップを持つ方など、広範囲に利用されている。
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「逆支弁構造」と呼ばれる穴が8か所開いている。内側に入った風が外に抜けていくことで、通常の傘に比べて、傘を持つための力を必要としない
 ものづくりへのこだわりを支えてきた理念は、先代が打ちだし、会社の方針「社針」にもなっている「新製品の発売はピラミッドの頂点から」という言葉である。いわゆる“マーケットイン”の考え方で、大衆へ売るためのモノづくりではなく、本当に必要としている顧客のためのものづくりをめざすものだ。
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9代目・三男氏が記した会社の方針「社針」(写真右。左は8代目・武田長五郎氏)
大切に使い、壊れたら直す
日本の文化、技術を残していきたい
 「モノを大切に使い、壊れたら直して使う精神が日本の文化であり、心です」と10代目・宰氏は話す。ホワイトローズでは壊れた傘を修理する際には、必ずお客様にヒアリングを行っている。壊れた状況や原因を知ることで、さらによい傘づくりへとつなげているのだ。傘は壊れると廃棄物になってしまうため、“できるだけ長く使っていただける傘をつくる”というのが傘をつくる人間の責任だと感じているという。
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傘の親骨の先端にある露先の修理の様子。小間と骨が結び付けられており、先人たちの知恵が詰まった伝統的な縫い方で修理する
 洋傘が日本に持ち込まれて以来、東京の職人たちの手によって生産し続けられ、独自の縫製技法をもつ「東京洋傘」は2018年、東京都から伝統工芸品の指定を受けた。東京都洋傘協同組合の理事長も務める須藤氏は「伝統を残そうとはしていません。技術を残そうとすることが、伝統を育むのです」と語る。消費者の生活様式の変化に合わせて、つくり手も変わっていく必要があるとも須藤氏は感じている。ホワイトローズでは、ビニール傘で培われた技術を応用し、シャワーカーテンや「撮影大臣」という自社撮影機材など、傘以外の商品の製造・販売も行っている。

 「伝統工芸と呼ばれるものも、誕生した当初は新技術を駆使した、画期的なものだったに違いない。しかし、それが何十年、何百年と月日が経つことで、古い技術になっていく。長年続く伝統に固執するのではなく、常に新しい道を切り開いていきたい」と須藤氏。

 常に技術革新を求める姿勢こそが、日本のイノベーションを支えているのだ。
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東京・浅草に構える店舗。「国内唯一の国産ビニール傘メーカー」という看板と、店内の「宮内庁御用ビニール傘」の掲示が際立っている

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