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変わりゆくコミュニケーションスタイルを
多種多様な心理的観点から追い続ける
変わりゆくコミュニケーションスタイルを
多種多様な心理的観点から追い続ける
2022.07.21

2004年に設置された心理情報学科が2018年に学科名を改めて誕生した「心理科学科」。“工業大学における心理系学科”という特色を出すために、心の働きの測り方を学び、それをものづくりに応用し、社会に役立てるための知識や技術を身につけることを意図した教育が行われている。その心理科学科で教鞭を執る渡邊伸行教授は、自身の大学の卒業研究から現在に至るまで「顔や表情の研究」を継続する“顔認知”のスペシャリストだ。研究室では「コミュニケーションの認知心理学」をテーマに掲げ、『似顔絵捜査におけるコミュニケーション』や『マスクが顔に及ぼす影響』といったユニークな研究にも積極的に取り組んでいる。
PERSON
金沢工業大学
心理科学科 教授

渡邊 伸行 (わたなべ のぶゆき) 博士(心理学)
日本大学文理学部心理学科卒業。同大学大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程修了。同大学文理学部情報科学研究所ポスト・ドクター(PD)、金沢工業大学感動デザイン工学研究所特別研究員(KIT-PD)を経て、2009年金沢工業大学講師就任。2016年准教授。2021年教授。専門は顔認知、ヒューマンインタフェース。
PERSON
渡邊 伸行
(わたなべ のぶゆき)
金沢工業大学
心理科学科 教授

日本大学文理学部心理学科卒業。同大学大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程修了。同大学文理学部情報科学研究所ポスト・ドクター(PD)、金沢工業大学感動デザイン工学研究所特別研究員(KIT-PD)を経て、2009年金沢工業大学講師就任。2016年准教授。2021年教授。専門は顔認知、ヒューマンインタフェース。
大学時代に惹かれ、研究し続けてきた
「顔」のおもしろさと奥深さ
 私たちは人の顔を一瞬見ただけで、性別、年齢、人種などを判断し、さらにはその人が知っている人かどうかも認識する。そして、その表情や視線の動きから相手の感情や、その人が何に注意を向けているのかという心の状態を知ることもできる。まさに“顔は心を映す鏡”と言われる所以だが、渡邊教授が専門にしている研究テーマのひとつが、こうした“顔認知”だ。

 渡邊教授が顔認知に興味を抱いたのは、大学3年生の時に東京・上野の国立科学博物館で開かれていた『大「顔」展』という展覧会を見に行ったのがきっかけだったという。

「大学1年次の学年担任だった山田寛先生(元・日本大学文理学部教授)という方は、日本顔学会という学会の設立にも関わった方です。日本顔学会がこの展覧会の主催として関わっていたので、先生の解説付きで連れていっていただきました。『大恐竜展』にあやかって命名されたという軽妙なイメージのタイトルに反して、その展示領域は心理学をはじめ、工学、歯学、人類学、美術、化粧の歴史など、顔に関わる実に広範な分野に渡り、あらゆる角度から顔に関する情報がまとめられた展示内容は、驚きと発見に満ちていました」
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 多様なアプローチができる「顔」はおもしろいテーマだと気づいたことで、心理学の立場から顔について研究してみたいと思うようになった渡邊教授は、大学4年次に山田先生の研究室に入る。さらに大学院に進んでからは「ISS(国際宇宙ステーション)における宇宙飛行士の顔面筋動作の解析」の研究を行い、博士論文では現在も研究テーマにしている「表情認知過程の説明モデルの検証」についてまとめ上げている。

 まさに「顔」のおもしろさと奥深さに魅せられて研究者人生を突き進んできた渡邊教授だが、2009年に金沢工業大学で教鞭を執るようになってからの11年間で選んだ研究テーマも、実に多岐にわたる。

「私の研究室では『コミュニケーションの認知心理学』をメインテーマにしています。認知心理学とは、人がものを見たり、記憶したり、理解したりするときに、頭の中でそれらをどう捉えていくのかという“認知”のプロセスに関わる専門分野のことで、この認知心理学の立場からコミュニケーションにおける“心の働き”について、おもに認知心理学実験や顔の感性評価といった手法を用いて検証を行っています。

 対象とするテーマは言葉以外の非言語情報や非言語コミュニケーション全般で、表情以外にも化粧や服装、姿勢、しぐさをはじめ、近年はCMC(Computer-Mediated Communication、PCやスマホといった電子機器を介して行われる人間のコミュニケーション)など、その時代特有の“何か”が反映されるテーマに着目し、それが顔認知にどのような影響を及ぼすのかという研究も増えました」

 「認知心理学実験」とは、たとえば1枚の顔写真を見せて、その顔の年齢や表情を判断したり、性格を推測したりしてもらうなど、私たちが普段、他者の顔を見て行っている様々な判断を実験室で行ってもらい、その判断を数値化して測定する手法のことを言う。「顔の感性評価」もその手法のひとつで、顔写真に対する印象を直接尋ねるのではなく、たとえば“良い―悪い”、“強い―弱い”などの形容詞対を使って評定してもらうことで、顔の印象を数値化して測定する試みだ。

「顔の印象を数値化して分析することで、様々な知識や知見を得ることができるので、それをものづくりに応用することも可能になります。たとえば同じ化粧というテーマでも、着目すべきポイントはとても多様です。目の下にある涙袋、カラーコンタクト、求心顔と遠心顔、ファッションマスクなど、世の中の流行や女性ファッション誌でも取り上げられるようなテーマに関する研究は、新しい商品開発のヒントにもなり得るので、化粧品メーカーにとって役立つ情報になる可能性もあります」
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 これまで渡邊研究室が取り組んできた興味深いテーマのひとつが、CMCの領域となる『SNSにおけるコミュニケーション』に焦点を当てた研究だ。

「インターネットの初期、文字だけでのやりとりだとどうしても誤解が生じる傾向がありました。こっちは怒っていないのに、受け取った側が勝手に感情を解釈するというズレが生じてしまっていたのです。そこで開発されたのが、記号や文字を組み合わせた“顔文字(エモティコン)”でした。

 メールに顔文字が加わることで喜怒哀楽の感情を誤解なく適切に伝達できるようになったこともあり、その後の絵文字やLINEスタンプなどの開発につながっていくわけです。

 こうした顔が見えないSNS上でのコミュニケーションは、メール、掲示板、チャット、Twitter、Facebook、Instagramと変遷し続けているわけですが、ユーザーたちもどんどん新しい言葉や新しいツールを開発することで、いかにコミュニケーションを楽しくしていくかということを考えています。結局、人は何かを伝えたいし、同時に理解したいのだということがわかります」
実験を通して浮き彫りになった
顔の特徴の記憶と表現の難しさ
 そしてもうひとつ、ここ数年渡邊教授が最も力を入れて取り組んでいるのが、『似顔絵捜査におけるコミュニケーションの検討』というテーマだ。似顔絵捜査は警察の捜査手法のひとつで、目撃者が目撃した顔の特徴を言葉で伝え、捜査官がその証言をもとに似顔絵を描き上げるというものだが、現実には私たちが想像する以上に大変な作業だという。

 というのも、他人の顔の特徴を言葉で伝えるのはとても難しい作業で、一瞬だけ目撃した顔をどこまで正確に覚えていられるかという問題に加え、説明しているうちに顔の記憶が変わっていくおそれもあるからだ。

 渡邊研究室では石川県警察の似顔絵捜査官の方々の協力のもと、独自の方法で実験を重ねてきた。

「まず研究室の学生が目撃者役を務め、別室にいる友人の顔の特徴を2名の捜査官に伝えて似顔絵にしてもらいます。最後にその友人に出てきてもらい、似顔絵と比べて答え合わせをします。この様子はすべて録画しておき、『顔の特徴がどのように言葉で伝えられているのか』という顔の記憶に関わる検討と、捜査官たちが『どのように絵に起こしていくのか』というプロセスについても検討を行います。
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 似顔絵を起こす方法は捜査官個人に委ねられている部分も大きいらしく、2名の捜査官の方が顔の特徴を聞き出すアプローチは異なっていました。選択肢を提示して思い出させるという手法と、余計なヒントは一切なしでひたすら思い出してもらうという手法に分かれましたが、どちらの場合でも誘導的になってはいけません。特にひったくりや痴漢といった事件では目撃者=被害者となるケースも多いため、相手の記憶を歪ませることなく引き出すためには、配慮しながら少しずつ情報を引き出していく繊細さも求められます。

 捜査官の方も現実の事件では犯人が捕まらない限り答え合わせはできないので、この実験はおもしろいということで協力していただいています」

 渡邊教授によると、これまで8回の実験を行った結果、似ているかどうかの評価は「100%のうち30~40%の出来という感じ」とのことだが、ここまでの研究でわかってきたことも2つあるという。
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「ひとつは、自分が覚えている顔を言葉にするのはすごく難しいということです。実際に私たちが自分の家族の顔の特徴を言葉で伝えてくださいと言われても、果たして説明できるかどうか怪しいのではないでしょうか。

 そしてもうひとつわかったのが、親しいはずの友人や家族の顔は意外に覚えていないということです。親しい人の顔は見ればすぐにわかるので、わざわざ細かなところまで記憶していない可能性が高いのです。

 研究の途中でコロナ禍になってしまったため、実験はちょっと止まってしまいましたが、似顔絵捜査の役に立つような成果を上げられるように、研究を進めていきたいと思います」
コロナ禍によって変わった?
“マスク”に対する人々のイメージ
 新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本人の生活からはしばらくマスクが消えることはないかもしれないが、実は渡邊研究室では 2009年に当時流行した “ファッションマスク” をテーマにして、『マスクが顔の印象に及ぼす影響』についての研究を行っている。

「水玉模様や動物柄のあるファッションマスクを着けることで、人の印象がどう変わるのかという調査を行ってデータを集めました。日本人のほぼ全員がマスクを着けるようになったいま、もはやマスクを着けていない前提で調査は行えないので、この当時のデータは貴重です。

 コロナ禍以前から “だてマスク依存症” について書いた本があったように、マスクをしていないと人前に出られないという人は一定数いたわけです。しかし、今後晴れてマスクを外せる時代がやってきても、化粧の問題などでマスクを外さないほうがラクだという人が増えることが予想されます。
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 たとえば、以前は黒のマスクは悪いイメージでしたが、現在のイメージは白いマスクとほとんど変わりません。黒マスクを目にする機会が増えたことや、K-POP アイドルの影響もあると思いますが、マスク着用が完全に日常になり、様々な色、形状、素材といった特色のあるマスクが登場したことで、コロナ禍前とは明らかにマスクの用途や着用に伴う印象が変わってきました。

 改めて最新のデータを取り直して 2009年のデータと比較すれば、以前とは違ったアプローチで、マスクが顔の印象に及ぼす影響についての研究ができるのではないかと考えています」

 どちらかというと文系の研究として位置づけられることが多い心理学だが、工業大学の心理系学科では「それがものづくりにどう応用され、社会にどう役に立つのか」という視点を持つことが求められていると渡邊教授は感じているという。

「時代や時期にとともにコミュニケーションのあり方が少しずつ変わっていくなかで、その時代を切り取れるような研究をこれからもやっていきたいと考えています。

 そして新しいコミュニケーションのスタイルが生まれたときに、どうすればそれが円滑に進んでいくのかをすぐに調べて対応できるように、新しいテーマについていきたいと思います」
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