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ソーラーシェアリングが描く
“世代を越えて暮らしをつなぐ農村”
ソーラーシェアリングが描く
“世代を越えて暮らしをつなぐ農村”
2023.12.11

農業用地に支柱などを立てて、その上部に太陽光パネルを設置して農作物への日射量を調節し、太陽光を農業と発電に分け合って行う「ソーラーシェアリング(営農型太陽光発電システム)」。そのソーラーシェアリングによる再生可能エネルギーを社会実装していくために、研究者から実業家としての道を選び、自ら実践してきたのが、千葉エコ・エネルギーの馬上丈司氏だ。“再エネ後進国”と呼ばれる日本において、今取り組むべき真の持続可能性とは何か。農業のエネルギーシフトを通じて、未来のための持続可能な農村づくりをめざす馬上氏に、千葉市にある自社農場「千葉市大木戸アグリ・エナジー1号機」で伺った。
PERSON
馬上 丈司 (まがみ たけし)
千葉エコ・エネルギー株式会社
代表取締役

1983年千葉県生まれ。千葉大学人文社会科学研究科公共研究専攻博士後期課程を修了し、日本初となる博士(公共学)の学位を授与される。専門はエネルギー政策、公共政策、地域政策。2012年10月に大学発ベンチャーとして千葉エコ・エネルギー株式会社を設立し、国内外で自然エネルギーによる地域振興事業に携わっている。専門家として、千葉市の温暖化対策会議専門委員会の委員や八千代市環境審議会の委員、太陽光発電設備の信頼性・安全性向上の技術評価およびガイドライン(営農型)策定に関する企画立案ワーキンググループの委員、農林水産省の今後の望ましい営農型太陽光発電のあり方を検討する有識者会議の委員などを務めている。
PERSON
馬上 丈司 (まがみ たけし)
千葉エコ・エネルギー株式会社
代表取締役

1983年千葉県生まれ。千葉大学人文社会科学研究科公共研究専攻博士後期課程を修了し、日本初となる博士(公共学)の学位を授与される。専門はエネルギー政策、公共政策、地域政策。2012年10月に大学発ベンチャーとして千葉エコ・エネルギー株式会社を設立し、国内外で自然エネルギーによる地域振興事業に携わっている。専門家として、千葉市の温暖化対策会議専門委員会の委員や八千代市環境審議会の委員、太陽光発電設備の信頼性・安全性向上の技術評価およびガイドライン(営農型)策定に関する企画立案ワーキンググループの委員、農林水産省の今後の望ましい営農型太陽光発電のあり方を検討する有識者会議の委員などを務めている。
研究だけでは世の中は変わらない
“3.11”をきっかけに実業の道へ
 2011年に私が日本で初めて博士号を取得した「公共学」は、日本ではまだまだ未発達の学問分野です。大学院のプログラムでは「公共政策」と「公共哲学」の2つのジャンルがあり、私が専攻したのは、政策によって社会課題の解決を図る「公共政策」でした。たとえば、福祉や環境といった社会問題は非常に複雑に絡み合い、一側面だけでは答えが出せません。どう包括的に解決していくか、幅広い観点から解決策を見出す必要があります。その中で私は、地方自治体における再生可能エネルギーのビジョンと政策について研究していました。

 当時、再生可能エネルギーはまだマイナーで、日本の電力供給の半分以上を原子力発電に置き換え、残りを再生可能エネルギーで埋められるかどうかという議論が中心でした。エネルギー政策は国が決めていくもので、自治体の取り組みと言えば省エネの啓発をしたり、公共施設に太陽光パネルつけたりといった程度です。
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 私が千葉エコ・エネルギーを立ち上げようと考えた一番大きなきっかけは、東日本大震災における東京電力福島第一原発での事故です。福島のいわきにあった私の父方の実家も、津波や原発事故の被害を受けたのですが、被災地が街をつくり直していく、あるいは原子力発電への安全性が懸念される中で、再生可能エネルギーへの注目が一気に高まりました。でもインフラを立て直すのはお金がかかります。今までは誰かが発電所をつくり、電気を送ってくれましたが、それを地域のものとして自分たちでつくれば、維持・管理も自分たちでしなければなりません。

 そうした状況を前に、私は自身の研究分野から大学へ様々な提言をしましたが、結局スピード感を持って動くことはできませんでした。街や村を立て直そうとしてる被災地の人たちに対し、アカデミアにいても何もできなかった。世の中が大きく動く中、自分がどの立ち位置で何をすべきかを考えた時、まずは自分で再生可能エネルギーの事業を起こし、実業として確立するしかないと考えたのです。

 会社をつくろうと思い立ったのが2012年の7月で、10月にはもう設立していましたから、3カ月弱で立ち上げました。もともと父が自営業だったこともあって事業を起こすことに抵抗感はありませんでしたし、当時はまだ28、29歳でしたから、「まあ、とりあえずやってみよう」という感じでスタートしました。
ただ並べれば良いわけではない
農地で受容される景観の美しさ
「ソーラーシェアリング」とは一般的に、農家の収入を増やすために農地で太陽光発電を行う取り組みとして捉えられてきましたが、我々は農地での農業生産を主体に、追加的にどのように再生可能エネルギーを生み出すかに重点を置いています。太陽光パネルの設置場所は畑や田んぼ、果樹園、農業ハウスなど様々ですが、「農業に使うエネルギーを農地でつくる」という点がポイントです。

 日本の農業で使われるエネルギーの98%は化石燃料です。化石燃料がなければトラクターもコンバインも動かない、ビニールハウスも温められない。しかも、その化石燃料のほとんどを輸入に頼っています。それは、実質的に「食料も自給してない」ということにつながります。そうした状況をいかにして変えていくかを我々は重視しています。
千葉市緑区大木戸町にある自社農場「千葉市大木戸アグリ・エナジー1号機」。1haの農地に高さ約4mの支柱が4.5m間隔で立ち、その上に太陽光パネルが伱間を空けながら設置されている。太陽光パネルでつくられた電気は、25台のパワーコンディショナー(PCS。写真3枚目)で直流から交流に変換し、家庭・工場向けに売電されている
 千葉エコ・エネルギーではソーラーシェアリングの事業化支援を全国で行い、その数は累計450件を超えています。2018年に完成したこの「千葉市大木戸アグリ・エナジー1号機」は1haの広さがあり、年間を通して野菜や果物を生産しています。設備はゼロベースで私が設計しました。畑への光の入り方が均等になるように太陽光パネルの大きさや角度、間隔はもちろん計算していますが、何よりこだわったのは美観です。パネルは約4mの高さに設置し、支柱もトラクターが入れる広い間隔で立てていて非常に開放的です。一見発電所には見えない、柱が整然と並んでいる農業施設のような空間になっています。実際、視察に来ていただいた方から景観デザインを評価していただくことも多いです。
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 日本は太陽光発電を建築デザインとして取り入れる意識が非常に希薄だと感じています。屋根に太陽光パネルを設置する住宅も増えていますが、建築として取り込めていない。ただパネルを並べただけ、置いただけみたいな感じで、設置場所もデザインも全然イケていない状況です。海外に目を向けると、たとえばドイツでは、“ソーラーアーキテクチャー”という建築の1ジャンルとして確立されるほど進んでいます。

 発電所であることの価値は重要ですが、まだまだ畑の真ん中に太陽光パネルがあることに違和感がない時代ではありません。一度設置したら20年、30年とあり続けるものですから、農地という景観においていかに違和感なく人に受容される形かにこだわっています。
海外からの関心は高いものの
地域の再エネ事業が進まない日本
 この事業に取り組んで10年以上になりますが、実績は着実に増えていますし、農業系のメディアなどに取り上げられる機会も増えました。国内外からも多くの方が視察に来られます。中でも韓国や台湾、ベトナム、インドネシアなど東アジア、東南アジアの関心が高いです。

 また近年は、猛暑による農作物の生育や収穫への影響が問題になっていますが、我々の畑ではパネルによって作物が守られ、収穫量を維持しています。今年の夏は使用する水の量も通常の4分の1ぐらいに抑えられ、そうした点で関心を持っていただくようにもなりました。

 ですが、「ソーラーシェアリング」の認知度はまだまだ低いと感じています。いまだに「パネルの下で野菜ができるの?」と言われることもあります。ただこれはビニールハウスと一緒だと思っていて、日本にビニールハウスが入り始めたのは昭和20年代後半ですが、当時も「石油でつくったビニールの中で野菜をつくるなんて」と言われていました。でも今や温室やビニールハウスがない生活は考えられないですよね。今は農業に対する新しい物への典型的な反応として受け止めています。
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 一方で今、大きな課題として認識しているのが、この千葉市のような、中心部を離れれば広大な農地が多数ある場所で、我々と同じことをやろうという人が出てこないという状況です。他の地域や他県からの引き合いはあって、大手企業の取り組みに携わったり、静岡にある工場で、工場用の電気をつくる設備のお手伝いをしたりもしていますが、インフラとしてはまだまだ小さい。そこに再生可能エネルギーに対する日本の企業や社会の関心度が表れているように感じます。

 要は“誰がやるべきか”という定義なんです。地域のエネルギー事業は誰がやるのかという答えが、日本の社会の中にまだないのです。電力会社にお金を払えば、火力、水力、原子力で停電もせず電気を送ってくれるのに、わざわざ地域ごとに自分たちでリスクと手間をかけて小さなエネルギー事業をやる理由を見いだせてきませんでした。

 地域や集落単位でエネルギーを整備しようという時に誰がやるか?ドイツやデンマークでは風車の協同組合をつくって、1世帯1,000万円出資したりします。それに足る価値とリターンがあると考えますが、日本はそうはなりません。自治体がやれば、税金だけ払って結局「誰かに任せる」という仕組みになってしまう。企業がやれば、それぞれの理屈で動くわけですから利益がなければ撤退してしまいます。そう考えれば、やはり本来は住民自身が自治の一環として取り組むべきでしょう。そうすれば利益も享受できますし、リスクも分かち合える。ここが、まだ我々が姿を見せきれてないところだと思っています。
農村の持続可能とは
世代を超えて暮らし続けられること
 農村では、エネルギーと食料の両方をつくることができるのです。そういう視点でみると、エネルギーも食料も自給できず、外から買ってくるしかない、それが途絶えたら生活できない東京のような大都市の方が、人が暮らす場所としての価値は低いと思います。たとえば大きな災害があっても、社会が変わっても、エネルギーと食料が手に入るという意味で、「何があっても自己完結的にある程度生存ができる」ということが、一つの「農村の持続可能性」だと思っています。

 一方、社会全体で考えれば、農村の本質的な持続可能性とは「世代を超えてそこで生活を営み暮らし続けられる」ということ。今、日本が問われているのはここだと思います。

 人口のボリュームゾーンである団塊の世代がいなくなったら、日本の農村は一気に衰退します。農地や農村のインフラの維持・管理を支えた人たちがいなくなり、消える街が多数出てくる。それって持続可能ではありませんよね。私やその次の世代だけでなく、子育てをしてずっと世代をつないでいける場所でなければ、それは持続可能とは言えません。
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 農村は本来、社会の最後の受け皿だと思っています。「ダメだったら田舎に帰って畑を耕せ」とか、「何かあっても戻ってくれば食べ物はある」とか言われますよね。でも問題はそれを誰に引き継ぐかです。残念ながら日本社会はそれができていません。

 本来「田舎」というバックアップがあるはずが、今の若者はおじいちゃん、おばあちゃんも東京にいて、田舎がありません。社会保障としてのセーフティネットはあるかもしれませんが、家庭・家族というコミュニティの中でのセーフティネットが崩壊している状態です。たとえば首都直下地震が起きた時に、東京から何週間、何カ月間どこへ避難するか。やはり最後に必要なのは地縁・血縁なんです。これが機能しなくなっている。一度失ったら簡単には取り戻せないものなのに、我々にはその危機感がありません。

「農村の持続可能性」という話に戻せば、人々が農村に価値を見出さなくなったのです。そこで暮らしている人々も「魅力がない」と感じ、親も「農家を継がずに都会に出て行ったほうがいい」というマインドが強くなっている。よく移住者を集める取り組みをしている農村がありますが、自分の子供に「帰って来なくていい」と言う場所に「なぜ、よそ様を呼べるんだ?」という話を聞きます。移住した人は自分で決断して移ってきます。でもそこで生まれた子どもは都会に憧れて、みんな出ていきます。結局繰り返しですよね。
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 我々は「持続可能な農村づくり」をミッションに掲げていて、たしかにソーラーシェアリングで再生可能エネルギーや農業生産のサステナビリティは確保できます。でもこれがあればすべての問題を解決できるわけではありません。子どもを預ける保育所とか学校とか、娯楽とか、そもそもここで何世代も暮らし続けられる基本的な社会としての仕組みを整えていかなければ、根本的な問題解決にはなりません。そこを忘れてはいけないと思います。
エネルギー、食糧、温暖化……
自ら見定め、考え、行動する人に
 現在、大学で教員もしていますが、学生には、「エネルギーと食料の問題は、あなたたちのこの先の人生にずっと関わるテーマだから、今から首を突っ込んでおかないと、親の世代は何もしておいてくれないよ」と話しています。

 日本は30年以上、地球温暖化対策を国も自治体も政策に掲げてきましたが、問題は解決しませんでした。私も様々なイベントや展示会に出てきましたが、いまだに「関心を持っています」とか「解決していこう」という呼びかけにとどまっています。でも今求められるのは結果です。結果を出すことが評価されるようになるべきなのに、日本社会はそこがアップデートできていません。SDGsも2030年がゴールですよね。子どもたちに教育したがる人って結構多いですが、積み残してきた問題を解決できないまま、その総括もせずに子どもたちに押し付けているように私には見えてしまいます。あれは大人が責任を持って片づける約束事であって、今の世代で問題を解決していく意思が薄いと思います。
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「行動する10代」という言葉が2016年くらいから出てきましたが、気候変動の転換点と言われる2030年、2050年までに世の中を変えられる最後の世代が、おそらく今の大学生からその上の20代前半の若者です。「ある種いろいろやらかしてきた世代の最後尾に付くか、あるいは行動する10代の先頭に立つのか。あなたたちが自分で選ぶんですよ」と若い人には伝えています。

 今、偶然にもこれを大学生の方が読んでいるとしたら、皆さんが30歳になる前に2030年を迎えるでしょう。それまでに皆さん自身が関心を持って行動する、自分の社会に対する影響力を行使する、あるいは同世代の中でしっかりと議論を深め、自分たちはどうすべきかを見定めていく。それをしっかりとやってほしいと思います。

 日本だけでみれば少子化ですが、世界全体でみると若い世代の人口は増えています。大学生の皆さんだと同級生が世界にだいたい1億人いて、35歳未満の人口は過半数を超えています。ですから皆さんの価値観が世界においては主流になるのです。皆さんが何をするか、何を考えるか、何をしてほしいかが人類としての多数派になります。せっかくインターネットツールが発達したのですから、そうしたことを意識して、もっと世界中の人と意見を交わして行動してほしいと心から思っています。
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「千葉市大木戸アグリ・エナジー1号機」以外にも周辺で畑を複数管理・運営しているため、農場間の移動用に小型EVを使用。充電はこの農場で行っている

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