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【特別編(第7回)】五十嵐威暢アーカイブ
デザイナー・五十嵐氏の作品を通して
感性を“学ぶ場所”としてのアーカイブ
【特別編(第7回)】五十嵐威暢アーカイブ
デザイナー・五十嵐氏の作品を通して
感性を“学ぶ場所”としてのアーカイブ
2024.5.28

2023年11月1日、国際的に活躍され、金沢工業大学の現在の学園章などを手がけた彫刻家・デザイナーの五十嵐威暢氏の作品や資料およそ5000点を所蔵する感性教育の拠点「五十嵐威暢アーカイブ」を金沢工業大学ライブラリーセンター内(2F)にオープンした。このアーカイブの企画・運営には、同アーカイブの主任専門員・学芸員として、デザイン史家・デザイン研究家でもある野見山桜氏が携わっている。金沢工業大学が設立した背景と目的、そしてKITにおける“感性教育の拠点”としての存在意義、さらには今後の活用について、野見山氏に話をうかがった。
PERSON
金沢工業大学
五十嵐威暢アーカイブ
主任専門員・学芸員

野見山 桜 (のみやま さくら) デザイン史家・デザイン研究家
1985年福岡県生まれ。パーソンズ・スクール・オブ・デザイン(アメリカ)で修士号を取得。東京国立近代美術館で勤務した後、デザイン史家、デザイン研究家として、美術館やギャラリーでのデザイン展覧会の企画や書籍・雑誌への原稿執筆、翻訳を行なう。専門は近代デザイン。女子美術大学/東北芸術工科大学/多摩美術大学非常勤講師。最近の仕事に『Takenobu Igarashi A-Z』(Thames & Hudson、2020年)、展覧会『DESIGN MUSEUM JAPAN 展 集めてつなごう日本のデザイン』(2022年11月30日~12月19日、国立新美術館)などがある。
PERSON
野見山 桜
(のみやま さくら) デザイン史家・デザイン研究家
金沢工業大学
五十嵐威暢アーカイブ
主任専門員・学芸員

1985年福岡県生まれ。パーソンズ・スクール・オブ・デザイン(アメリカ)で修士号を取得。東京国立近代美術館で勤務した後、デザイン史家、デザイン研究家として、美術館やギャラリーでのデザイン展覧会の企画や書籍・雑誌への原稿執筆、翻訳を行なう。専門は近代デザイン。女子美術大学/東北芸術工科大学/多摩美術大学非常勤講師。最近の仕事に『Takenobu Igarashi A-Z』(Thames & Hudson、2020年)、展覧会『DESIGN MUSEUM JAPAN 展 集めてつなごう日本のデザイン』(2022年11月30日~12月19日、国立新美術館)などがある。
PERSON
五十嵐 威暢 (いがらし たけのぶ) 彫刻家・デザイナー
1944年北海道滝川市生まれ。多摩美術大学を卒業後、カリフォルニア大学で芸術学の修士号を取得。1970年代からデザイナーとして国際的に活動し、千葉大学、UCLAで教鞭をとる。多摩美術大学では、わが国初となるコンピューターによるデザイン教育の基礎づくりに参画、美術学部二部(のちの造形表現学部)創設に参加し、初代デザイン科学科長を務める。1994年に彫刻家へ転身。2011年より多摩美術大学第9代学長を務め、現在は名誉教授。金沢工業大学の学園章などを制作。1980年代初頭金沢工業大学のUI(ユニバーシティ・アイデンティティ)に取り組む。日常にアートをという理念のもと、国内外にパブリックアートとしての作品を数多く制作。デザイナーとして四半世紀、アーティストとして四半世紀を超えたいまも創作を続けるかたわら、次世代への教育にも情熱を傾ける。
PERSON
五十嵐 威暢
(いがらし たけのぶ) 彫刻家・デザイナー
1944年北海道滝川市生まれ。多摩美術大学を卒業後、カリフォルニア大学で芸術学の修士号を取得。1970年代からデザイナーとして国際的に活動し、千葉大学、UCLAで教鞭をとる。多摩美術大学では、わが国初となるコンピューターによるデザイン教育の基礎づくりに参画、美術学部二部(のちの造形表現学部)創設に参加し、初代デザイン科学科長を務める。1994年に彫刻家へ転身。2011年より多摩美術大学第9代学長を務め、現在は名誉教授。金沢工業大学の学園章などを制作。1980年代初頭金沢工業大学のUI(ユニバーシティ・アイデンティティ)に取り組む。日常にアートをという理念のもと、国内外にパブリックアートとしての作品を数多く制作。デザイナーとして四半世紀、アーティストとして四半世紀を超えたいまも創作を続けるかたわら、次世代への教育にも情熱を傾ける。
日本でも評価されるべき
五十嵐氏の“エレガントさ”
 2000年代にアメリカで始まったSTEM(ステム)教育をご存じだろうか? これはScience(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の頭文字を取った21世紀型の新しい教育方法のことだ。科学、技術、工学、数学を分野横断的に学ぶことで国際競争力のあるグローバルな人材を育てるのがねらいと言われる。そして近年はこのSTEM教育に、Arts(芸術や教養)を統合した「STEAM(スティーム)教育」という教育手法が注目されており、その研究の充実と実践を進めるための施設として、金沢工業大学ライブラリーセンター内に2023年11月1日にオープンしたのが、「五十嵐威暢アーカイブ」だ。
 野見山さんが五十嵐威暢というデザイナーの作品に出会ったのは、2015年にニューヨークにあるパーソンズ・スクール・オブ・デザインで修士号を取っていたときのことだった。

「クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館と提携した修士プログラムで博物館のコレクション作品の研究・整理などを学んでいました。集められた経緯やセレクションの意図などは不明でしたが、そこには1980~1990年代の日本のポスターが大量に所蔵されていて、五十嵐さんのポスターも何点かありました。グラフィックデザインに関心があった私は、それがきっかけで五十嵐さんの作品を記事にすることになり、いろいろと調べてみるとご本人が健在で今も活動なさっていることがわかりました。話をお聞きしたくてメールを差し上げたところ、返信をいただくことができ、帰国した際に初めて東京で五十嵐さんにお会いしました」

 当時、欧米には五十嵐さんの作品に興味を持っている海外のミュージアムがいくつかあり、クーパー・ヒューイットもさらに作品の寄贈を希望していたという。すでに日本に帰国していた野見山さんは、五十嵐さんが作品を寄贈するためのコミュニケーションのサポートを行った。その後、五十嵐さんの著作の制作などにも関わったことで、野見山さんはその作品だけでなく五十嵐威暢という人間の生き方そのものの検証なども行うようになり、いつしか五十嵐威暢研究を行う研究者の一人になっていった。
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「五十嵐さんは多摩美術大学の学長も務めた方なので、デザイン業界ではとても顔も広いのですが、海外での作品への評価の高さを考えると、日本国内では美術館での文化資源的価値がきちんと評価されていないデザイナーの1人だと思います。事実、2016年の時点では五十嵐さんの作品を多数所蔵している日本の国公立のミュージアムはなかったはずです。

 亀倉雄策や田中一光といった著名なグラフィックデザイナーのアイコニックな作品を見てもわかるように、日本のグラフィックデザインでは歴史的に特徴的なスタイルを持っているか否かが評価の大きなポイントとなっていました。デザインという領域は、アートと異なりクライアントがいることがほとんどです。そこに介入してくるデザイナーの個性に関心がありました。

 その点、デザインから彫刻という次元の異なる表現に移っていった五十嵐威暢というデザイナーは、アーティストへとキャリア転換したことで創作活動そのもののあり方を転換させたわけです。こうした五十嵐さんの考え方や生き方がとてもおもしろいと思ったし、五十嵐さんの作品にはアートとデザインを行き来する思考を見ることができます」
「アーカイブ」として将来に残しながら
教育に活かす
KITの思惑と合致して実現
 今回、金沢工業大学のライブラリーセンターに「五十嵐威暢アーカイブ」という施設を設立するにあたって、ディレクターとして構想から関わることになった野見山さんだが、実はこの「アーカイブ」という名称にはかなりこだわりがあったという。

「最近は『デザインミュージアム』という言葉が頻出していますが、これだと既存の価値観でモノを見せることになってしまうので、あえてアーカイブという言葉を使うことで、作品が資料として身近にあるという“距離感の近さ”を伝えたいと考えました。将来にわたって残していくべき作品は、単に愛でるだけのものではないのです。

 日本のデザイン業界は10年ほど前からアーカイブという言葉にずっと惑わされてきたのも事実で、『作品を残していく』と言うのは簡単ですが、実際にそういう施設を立ち上げた人はとても少ないのが実情です。だからアーカイブのノウハウも共有されていない。大手印刷会社や美大などがアーカイブ的なものを持っているケースはありますが、ほとんど一般公開されていません。資料へのアプローチもできないのでは、持っている意味がありません。

 デザイン業界のこうした事情と五十嵐さんがやりたいアーカイブ資料の活用が私の中でうまくマッチングしたのです。ここでうまく形になったものを見せることができれば、他でもこうした取り組みが進むのではないかと思います。
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 五十嵐さんが残してくれたものをどう活用していくべきかを考えるのが私の役割なので、あくまでも“おもしろがる”という立場にいないとアーカイブは持続しません。五十嵐さんの気持ちを理解したいという思いは当然ありますが、客観性を保つことを意識しています」

 野見山さんによると、五十嵐さんはニューヨークの地下鉄のグラフィックなどを手がけたことでも知られる、マッシモ・ヴィネッリというイタリア人デザイナーの影響を受けているという。

「ヴィネッリがニューヨーク郊外にあるロチェスター大学という工科大学に作品を寄贈し、ヴィネッリセンターとして活用してもらっている事例が、このアーカイブのヒントになっています。五十嵐さんは1981年にKITのロゴをつくった縁もあって、この大学なら自分の作品を有効に活用してくれるのではと考え、声をかけたそうです。しかし、たとえ寄贈されても維持するにはそれなりにお金もかかるため、寄贈を辞退するという事例も多いのが現実です。それをKITが前向きに受け入れてくれたというのは、美術館で働いていた立場の人間としても、本当に素晴らしいことだと思います」

 一般的に考えれば、工業大学にとってデザインやアートはメインストリームには関係のない領域といえる。しかし、作品を資料として活用し続けることがアーカイブを持続するために必要なのであれば、これまでデザインやアートという分野が入っていなかった大学のほうが、「活用できる可能性の幅は広がるのではないか?」と野見山さんは考えたのだ。
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「アーカイブの構想をまとめるうえで、この施設を金沢工業大学が実践しているSTEAM教育における“感性教育の拠点”と位置づけました。新たにデザイン学科を設けたりするのではなく、ここが“第三の学ぶ場所”になればいいのです。大澤敏学長がとあるインタビューで、『イノベーションを起こすには、まったく関係のない人たちとのつながることが必要』と答えていましたが、アーカイブの存在がそのきっかけになれれば理想的です」
展示と向き合って“どう感じるか”
OB・OGも一般の方も体感を
 現在、五十嵐威暢アーカイブには、五十嵐氏からのご厚意により寄贈された5000点にも及ぶ作品や資料が収蔵され、開館記念展示として『見ているか?』(第1期)というテーマの展示を2024年4月末まで行い、5月11日からは『見ているか』(第2期)の展示の開催が予定されている。このテーマは1年を通して共通のもので、そこから枝分かれした「比較する」「どこから見るのか」「なぜこの形なのか」「何を感じるか(ワークショップ)」という4つのトピックごとに、それぞれの期で違った展示を行っていく予定だという。
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「展示物を使ってどんなことをすれば感性教育ができるのか――というのが現在の課題ですね。まずは美術館で鑑賞教育をするときの手法をお手本にして展示を組み立てて、作品のつくられた背景や作家の意図は一旦置いておいて、まっさらな状態で目の前の展示物と向き合い、どこに着目するのか、どう感じるか、対話の中で“見るヒント”を見つけていくようにしています。というのも、特に美術作品などはコンテクスト(なぜその作品に意味があるのかを決定づける説明)で評価する傾向がありますが、果たしてその作品が本当に素晴らしいかどうかはわかりません。ただ、自分にとっていいかどうかは感覚的に判断できるので、それをどのように考えていけるのかを、展示を通して探っていけたらいいなと考えています」

 対話を通してヒントを見つけるためのひとつの手法が鑑賞ワークショップであり、野見山さんもその開催には力を入れていきたいと話す。
2023年11月15日に開催した「観賞ワークショップ」。まず座学で見るべきポイントを伝授し、その後ポイントに沿って館内の作品を見て回り、最後に全員で話し合って作品のグループ分けに挑戦しました
「自分ひとりで作品を見られるようになるには時間がかかります。慣れるまでは鑑賞ワークショップに参加して他の人たちといろいろ議論したほうが、遠くのものを近くに感じるようになれると私は考えています。そのうちに自分のものの見方というものがわかってきたら、他の美術館などにいってもスムーズに作品を鑑賞できると思います。

 五十嵐威暢アーカイブの素晴らしい点は、金沢工業大学の学生以外の一般の人も無料で自由に見学することができ、そこで行われる教育にも参加できるところです。こうした施設はある意味、生涯学習の場でもあるので、それには一般の方々にも“開かれている”ということがとても重要です。私自身、東京から移住してここに常駐していますが、デザインの研究者としての活動も続けていくことで、大学と社会がつながっている状態を保ちながら、いろいろなものをフィードバックしたいし、“外部との架け橋”として学外からもアートやデザイン系の人などを呼んでトークイベントを開いていくつもりです。

 現状では私自身が『これでいいのかな?』といつも考えながらやっているので、私が狙っているところは違うところで皆さんが妄想や想像をふくらませているとしたら、それがどういうものなのかをぜひお聞きしたいというのが本音です。でも、こうしたトライ&エラーを繰り返しながら運営のやり方を探るということは美術館ではできなかったので、このアーカイブは私にとっても大きな学びの場になっています。

 金沢工業大学という理系の大学が、こんな新しいことに取り組んでいる大学だということを、社会に知ってもらいたいです。ですので、本学OB・OGの方たちも機会があれば、ぜひ五十嵐威暢アーカイブに足を運んでみてください。自分の仕事や考え方に何かヒントがほしいというときは、ワークショップへの参加も役に立つと思います」
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「五十嵐威暢アーカイブ」では企画展のほかに、五十嵐氏のデザイナー時代から彫刻家へ転身後までの代表作品を通じて、その多彩な創作活動を振り返る常設展示も実施している。アーカイブのホームページはこちら

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