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“不燃木材”の開発に成功し
次はプラスチックの難燃化に挑む
“不燃木材”の開発に成功し
次はプラスチックの難燃化に挑む
2025.6.9

2010年に「公共建築物等における木材の利用促進に関する法律」が施行されたことにより、近年は不特定多数の人が利用する駅や美術館、保育所、福祉施設などの外装や内装を木材で仕上げる、いわゆる“木質化”の建物が増えている。そしてこれを可能にしているのが火災に強い“不燃木材”の存在だ。金沢工業大学バイオ・化学部環境・応用化学科の露本伊佐男教授は、人体や環境に害の少ないホウ酸系薬剤を木材に含浸注入することで、不燃化する技術を開発し、特許を取得した。露本教授が開発した特許技術は木材以外の素材も難燃化することもできるため、今後はより広範な分野での社会実装が期待されている。この“燃えない木材”がいかにして誕生したのか、そして露本教授はこれからどのような研究をしていくのか話を聞いた。
PERSON
金沢工業大学
バイオ・化学部
環境・応用化学科 教授

露本 伊佐男 (つゆもと いさお) 博士(工学)
東京大学工学部工業化学科卒。同大学大学院工学系研究科超伝導工学専攻修士課程、同大学大学院工学系研究科応用化学専攻博士課程修了後、同大学工学部応用化学科助手を経て、1999年金沢工業大学講師。助教授を経て、2011年より教授。バイオ・化学部学部長。専門は無機材料化学、インテリジェント材料学、燃焼学、環境科学、分析化学。
PERSON
露本 伊佐男
(つゆもと いさお) 博士(工学)
金沢工業大学
バイオ・化学部
環境・応用化学科 教授

東京大学工学部工業化学科卒。同大学大学院工学系研究科超伝導工学専攻修士課程、同大学大学院工学系研究科応用化学専攻博士課程修了後、同大学工学部応用化学科助手を経て、1999年金沢工業大学講師。助教授を経て、2011年より教授。バイオ・化学部学部長。専門は無機材料化学、インテリジェント材料学、燃焼学、環境科学、分析化学。
オリジナルの発想で材料をつくり
取得した特許も受賞歴も多数
「たとえばライターはカチッとやればすぐに火がつきますが、あれはライターの中にカチッと叩いたときに電気火花を飛ばす石が入っているからです。では、なぜカチッと叩くと電気火花が飛ぶのか?それは結晶構造(※結晶内部における原子の規則正しい配列様式)までさかのぼって考えると、陽イオンの中心と陰イオンの中心がずれているからです。ずれているので上からポンと叩くと蓄えられる電気量が変わり、その差の電気が外に放出されて火花が飛ぶというのが理屈で考えられています。

このように化学のおもしろいところは、あらゆる化学物質や材料などがいろいろとユニークな性質を持っていて、なぜそんな性質を持っているのかという理由が、すべて構造で説明できるということです。結晶構造や分子構造と性質がとても密接に関係しているのですが、そのつながりがとても興味深いと思います」
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 子どもの頃からこうした物事の“仕組み”や“構造”に興味を抱いていた露本教授は、大学生のときに学ぶ化学の分野が細かく専門に分かれていくタイミングで、無機材料化学を選んだ。以来、たとえ複雑でわかりにくい事柄でも、「その背景に隠れている原因やメカニズムを知ればすべての点が1本の線でつながり、目からウロコが落ちるように急に理解が進むことがある」という考え方で、様々な研究を続けてきた。

 そんな露本教授が可燃性の材料を“燃えなくする”ための研究を始めたのは、2004年頃に地元企業から「ダイオキシンの発生抑制剤をつくれないか」という相談を受けたのがきっかけだった。ゴミなどを焼却炉で燃やしたときに発生するダイオキシン(有機塩素化合物)の有毒性が1990年代から深刻な社会問題になっていたため、ダイオキシンの発生を抑制するための技術開発が求められていたのである。

「ものを燃やすときにダイオキシンの発生を抑えるメカニズムは、発生する塩化水素などを含む有毒ガスに薬剤を吹き込んで中和して捕集するというものです。有毒ガスに薬剤を吹き込むときはなるべくガスと薬剤が多く接触したほうが捕集できる量が増えるので、薬剤はできればガスの中で膜を張って発泡スチロールのような形の発泡体になる性質のものが望ましいわけです。

 そこで、結晶構造までさかのぼってどんな構造のものがいいのかいろいろと考えた結果、ガラス質のように結晶構造がなくて原子が不規則に配列したものを使えば、膜を張ってサポーターになるということがわかったため、ケイ酸ナトリウムやホウ酸ナトリウムを中心に研究を進めました」
ダイオキシンの発生減で
“不燃化・難燃化”が研究の主軸に
 じつは露本教授はこの相談を受けたときに「木を燃えにくくできないか」という相談も同時に受けていたそうで、ダイオキシン発生抑制剤の開発と並行して木材の不燃化についても、地元の木材メーカーと共同研究を行っていた。ところが、その後しばらくして焼却炉の高性能化によりダイオキシンの発生が低減していったため、抑制剤の研究を続ける必要性がなくなってしまったのだ。あくまでもダイオキシンの発生抑制剤に使う目的で始めたホウ酸ナトリウムの研究だったが、露本教授は薬剤を開発する目的を木材の不燃化・難燃化に切り替えて研究を続けることにした。
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「そもそもホウ酸ナトリウムがセルロース系材料に高い難燃効果を有することは古くから知られていましたが、ホウ酸はあまり水に溶けません。もちろん濃度が薄いままでも少しは燃えにくくなりますが、やはりいつかは燃えてしまいます。加圧・減圧を繰り返すことで浸透させる方法など処理工程における工夫も提案されていましたが、高い難燃効果が得られるだけの量のホウ酸ナトリウムを木材に浸透させるのは困難でした。

 そこで、ホウ酸ナトリウムを高濃度に含有した水溶液をつくるために、ナトリウムとホウ酸の割合を変えて実験を行いました。するとナトリウムとホウ酸はある比率になると結晶になり、ある比率になると結晶にならないという濃度範囲が見つかったのです。こうしてホウ酸ナトリウムを原子が不規則に並ぶ組成の非晶質(アモルファス)構造にすることで、従来よりも4倍以上高濃度のホウ酸塩水溶液をつくることに成功しました。この簡便な方法で水溶液を製造する技術で特許も取得しています」

 非晶質ホウ酸ナトリウムは、水溶液中でホウ酸イオンが複数縮合したポリアニオンの構造を取っていることから「ポリホウ酸ナトリウム」と呼ばれ、水への溶解度が高い。さらに造膜性(発泡性)があるため、高い難燃性能も期待できる。

 ポリホウ酸ナトリウムの水溶液を木材に浸透させるには、オートクレーブという装置で水溶液を10気圧に加圧し、木材に1時間染み込ませて繊維の中まで含浸させる。するとその木材を燃やしても含浸されたホウ酸ナトリウムが熱に反応して発泡し、その発泡層が酸素を遮断して炭化層を形成して木材を保護するわけだ。この特許技術を使って金沢市の加賀木材が開発したのが、『もえんげん®』という不燃木材だ。
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難燃メカニズム
 建築基準法施行令では防火材料のグレードを、防火性の高いものから順に「不燃材料」「準不燃材料」「難燃材料」と定めているが、『もえんげん®』は集成材としては初めて国土交通省不燃材料認定を取得している。「不燃材料」は通常の火災では燃焼せず、建物内部への火災の拡大や煙の発生を20分以上抑制する性能があるとされる(「準不燃材料」は同10分以上、「難燃材料」は同5分以上)。金沢駅金沢港口シェルターや駅構内の店舗のほか、近江町市場、グランフロント大阪など、県内外の様々な施設の天井や壁などに使われている。また、木材による暖かみのある空間デザインを売りにする飲食店や、落ち着いた雰囲気を演出する目的で鉄道車両の内装などでの使用例も増えている。
不燃木材『もえんげん®』の使用例。金沢駅金沢港口シェルター、グランフロント大阪内、デジタルハリウッド大学3階エントランス、岡山城天守閣(写真提供:加賀木材)
 露本教授の研究は木材の不燃化だけにとどまらない。ポリホウ酸ナトリウムの造膜性(発泡性)の高さを活かして、これまで燃えなくするのが難しいとされてきたプラスチックや紙といった素材についても、不燃化の研究を進めている。

「木材のように吸水性のある基材は水溶液を加圧含浸させることで高い難燃性を与えられますが、吸水性がないとそれは難しい。しかも含浸させるにはオートクレーブが必要で手間もかかるため、これを塗膜として塗布することで難燃化できれば工程も簡単で手間がかかりません。

 ただ、ポリホウ酸ナトリウムは無機塩なので、これが単独で溶解した水溶液を塗布してもきれいな塗膜にならないという問題がありました。塗膜化するには“つなぎ”となるバインダーが必要なので、デンプンを塗膜剤として使ってみることにしました。というのもポリホウ酸ナトリウムがセルロースに対して難燃効果が高かったので、セルロースと同じ化学式を持つデンプンがバインダーなら、塗膜を燃えなくできるのではないかと考えました。

 実際にデンプンをホウ酸ナトリウム水溶液に溶かして塗布したところ、難燃効果が高い塗膜となることがわかりました。中でも省エネ住宅で断熱材として使われている硬質ポリウレタンフォームで高い難燃化の効果を発揮したほか、白衣、農業用シート、ポリプロピレン不織布など、さまざまな汎用ポリマーを難燃化することができるので、今後の需要拡大が期待できると思います」
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 デンプンを加えたホウ酸ナトリウム水溶液を塗布した硬質ポリウレタンフォームの場合も木材と同様で、加熱時にホウ酸ナトリウムが造膜して発泡層を形成するため、酸素が遮断される。このときデンプンは酸素を遮断された状態で加熱されるので、緻密な炭化層を形成する。これらの発泡層と炭化層の両方によって硬質ポリウレタンフォームという基材を熱と酸素から保護して、燃焼が抑制されるというのが難燃のメカニズムだ。

 こうした一連の不燃化・難燃化のための特許技術が評価されて、2023年11月、露本教授は「ホウ素化合物を用いた液状難燃剤」の発明で公益社団法人発明協会の発明奨励賞を受賞した。もうすぐ20年の特許期間が切れるというタイミングでの受賞というのも少し不思議だと露本教授は笑うが、それだけ時代がこの特許技術に対して注目している証しと言えるだろう。
“環境に優しい化学”で
難燃剤を開発したい
 1999年に金沢工業大学に講師として着任してから26年。不燃・難燃の研究だけでも20年以上取り組んできた露本教授に、これからどのような研究に取り組んでいくのか尋ねてみた。

「難燃剤を含浸によって不燃処理した木材を長く使っていると、外観が少し白っぽくなる傾向があります。公共性の高い建物に使われることも多いので、外観をきれいに保てるもっと使いやすいものに改良したいですね。あとは耐水性をもたせるというのも大きな課題です。

 現状だと特に塗布したものは雨などで流れてしまうので、ほかの物質を炭化剤として使うことで改善できるのではないかと考えています。さらに炭化するメカニズムを持つケイ酸ナトリウム、リン酸などの難燃剤と炭水化物を組み合わせることで、難燃塗布剤にできる可能性もあると思います。

 あとはプラスチックを燃えなくする研究も行っています。ただ、木材にはよく効く薬剤をプラスチックに練り込んでもあまり効果がないので、かなり苦労しています。既存の難燃剤がいくつかあるのですが環境に優しくないものが多いので、人体や環境に優しいプラスチック用の難燃剤を開発したいですね」
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 そのほかにも露本研究室では、リチウムイオン電池の新しい電極材料の研究や、生成AIを使って結晶構造を解析する技術の開発などに学生たちが取り組んでいる。その際にいつも露本教授が心がけているのが、「環境に優しい化学」の社会実装だ。

「化学というのはとても裾野が広い学問ですが、化学物質の一部は過去に公害や環境問題を引き起こしてきました。そういう環境負荷を高めないような化学技術の使い方をしなければなりません。そのうえで環境に優しい化学を社会実装して広めていけるような研究に、これからも取り組んでいきたいと思います」

 化学には難しいというイメージを抱きがちだが、私たちの生活に役立つ機能性材料を開発する露本教授の研究は、安心・安全な社会をつくるためにもとても重要なものだ。これからの活躍に期待したい。
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